北前船の寄港地とは? わかりやすく解説

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北前船の寄港地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 03:23 UTC 版)

北前船」の記事における「北前船の寄港地」の解説

最速達では以下の港に寄っていた。各地見張り役人を置き、途中要所には毎夜上げて船からの目標とさせた。[要出典] 北海道では箱館松前江差、熊石、上ノ国(以上渡島国)、紗那、泊(以上千島国)、根室(以上根室国)、厚岸釧路(以上釧路国)、様似、門別(以上日高国)、苫小牧室蘭(以上胆振国)、小樽余市、寿都(以上後志国)、久春古丹(以上樺太)[要出典] 奥羽では深浦十三湊青森土崎湊[要出典] 西海道では長崎(以上肥前国)、津屋崎(以上筑前国)、田野浦(以上豊前国)[要出典] 酒田以南寄港地佐渡能登但馬石見長門下関備後大坂[要出典] 大坂以東寄港地紀伊伊勢駿河伊豆江戸[要出典] ほかに明石大間佐井、脇野沢大畑川内田名部野辺地蟹田三厩鰺ヶ沢(以上陸奥国)、岩船桃崎浜新潟寺泊出雲崎柏崎直江津能生糸魚川(以上越後国)、赤泊大川(以上佐渡国)、水橋岩瀬放生津伏木(以上越中国)、七尾輪島黒島福浦(以上能登国)、橋立本吉湊(以上加賀国)、三国湊河野敦賀(以上越前国)、小浜(以上若狭国)、神崎港(丹後国)、境港伯耆国)、鞆(備後国)、玉島備中国)、下津井備前国)、兵庫津摂津国)などにも寄っていた。[要出典] 江戸期百科記載され大坂から奥州・田南部間の海路地名次のとおり。 大坂尼崎西宮兵庫須磨崎、(播州明石江崎(えがさき)、高砂亀島鞍掛室津赤穂御崎坂越浦)、(備前大田武(おおたふ)、牛磨津(うしまづ)、寄木崎、犬島、出崎、潮通(しおとおし)、日比下津井、(備中水島、(備後白石、鞆(とも)、穴太(あぶと)、桃島江崎海布苅(めかり)、(安芸野内(のうち)、多田文(ただみ)、高崎唐船とうせん)、日門泊(ひもんとまり)、高たかとび)、蒲刈(がまかり)、亀首(かめがくび)、加呂宇土津和野、(周防由宇家室(かむろ)、上関かみのせき)、蔵司(そうし)、室積(むろづみ)、向島花香(はなか)、岩屋丸尾水崎(みさき)、(長門本山、艫崎(へざき)、下関しものせき)、稟受(ひんしゅ)、瀬戸崎、(はぎ)、須佐、江須、(石見浜田、護府(ごふ)、津(いのづ)、(出雲瓜生(うりう宇龍?)、可嘉、三保関(みほのせき)、泊(とまり)、(因幡)加留(かる)(但馬)諸崎、芝山朝日夕日、泰座(たいざ)、(丹後)経崎、宮津、名料、(若狭小浜(おばま)、常上(つねかみ)、丹生浦(にううら)、立石、伊呂、(越前敦賀河野米良(めら)、三国堀切、(加賀安宅(あたか)、本吉宮腰、(能登阿武屋(あぶや)、福浦伊木須、和島(わじま)、塩津、(越後今町柏崎出雲崎新潟瀬波(せなみ)、(出羽)鼠関(ねずのせき)、加茂酒田小刀津、本庄ほんじょう)、湊(みなと)、舟川島(とがしま)、野代(のしろ)、(奥州津軽深浦鯵沢あじがさわ)、小泊(ことまり)、今別(いまべち)、赤根沢(あかねざわ)、田南部(たなぶ)。

※この「北前船の寄港地」の解説は、「北前船」の解説の一部です。
「北前船の寄港地」を含む「北前船」の記事については、「北前船」の概要を参照ください。

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