北勢一帯への拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:27 UTC 版)
1906年(明治36年)1月、四日市電灯は19万5000円を増資し、資本金を25万円とした。増資と同時に取締役に酒井礼一(初代四日市市長)、監査役に九鬼総太郎(米穀肥料商・地主)が就任している。役員録によると、1907年初頭時点では酒井礼一が、翌1908年初頭時点では九鬼紋七(米穀肥料商・地主かつ三重県多額納税者)が社長を務め、創業者の平野太七は常務取締役に就いている。増資をうけて1906年6月、四日市電灯は水力発電所の建設に着手した。 1907年(明治40年)4月、四日市電灯最初の水力発電所として千草発電所が運転を開始した。朝明川上流の三重郡千種村(現・菰野町)に位置する発電所で、出力は350キロワットである。さらに既設北条発電所についても改修工事が行われ、1910年(明治43年)3月に従来の設備にかえて蒸気タービンを備える出力750キロワットの発電所が完成した。11キロボルト送電線網の整備も進められ、1910年末までに四日市・富田・桑名・神戸・亀山の5か所に変電所が整備されている。その結果、供給区域は四日市市を中心に北は桑名町(現・桑名市)、南は神戸町・白子町(現・鈴鹿市)、西は亀山町(現・亀山市)まで拡大した。 1908年(明治41年)9月、四日市財界の有力者である九鬼紋七らが発起人となり四日市瓦斯(四日市ガス)という都市ガス会社が設立された。しかし同社は開業するに至らず、1910年4月にガス事業権を四日市電灯へと譲渡する。このため四日市市でのガス事業は電気事業との兼営となり、1912年(明治45年)3月15日より四日市電灯の手によって始められた。開業当初のガス需要家は1,093戸であった。 資本金については25万円への増資後、2度の増資で1909年上期に50万円、1911年(明治44年)上期に100万円へとそれぞれ増加した。
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