労働の日々とは? わかりやすく解説

労働の日々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 02:41 UTC 版)

イクバル・マシー」の記事における「労働の日々」の解説

1982年パキスタン北東部パンジャーブ州ムリドゥケ英語版)の貧し家庭生まれた。父は薬物中毒のために、まともな職に就くことができなかったともいわれ、母が掃除仕事かろうじて家計支えていた。4歳のとき、父親がイクバルの兄の婚礼のため、近所絨毯工場から600ルピー借金をした。当時パキスタンでは、貧困に喘ぐ家庭借金返済のために子供強制的な労働強いられる債務労働」と呼ばれる児童労働一般的であり、イクバルも例外なく1986年4歳にして絨毯工場での労働者となった契約上は1週間6日1日12時間の労働であった大型織機と狭い職場とで不自然な姿勢での労働強いられ絨毯に群がる避けるために部屋閉め切られて非常に暑く絨毯糸くず空中散乱して頻繁に咳き込むなど、環境劣悪だった。共に働く子供たち中には、常に絨毯毛糸触れるため、疥癬皮膚の潰瘍苦し子供多く、悪い姿勢での労働の末に関節炎手根管症候群患う子供もいた。イクバルもまた、織機のそばで不自然な姿勢での労働何年続けたことで、少年期成長阻害されることとなった長い休みを得ることもできなかったため、病気になって休み許されず、休み乞うたために逆に仕置きを受け、さらに病気悪化させる子供もいた。 休憩1日30分、食事もわずかの米と豆、まれに少量野菜加えられる程度で、これも少年期のイクバルの成長阻害する一因となった。このわずかの食費や、さらに仕事覚えるための研修費用や仕事道具費用までもが借金上乗せされていた。仕事上に道具で傷を負ったときには痛み構わずマッチの粉をつめて火をつけられ傷口塞がれたり、熱い油で止血されたりした。これは傷の手当よりむしろ、絨毯が血で汚れることを防ぐためだった仕事終えて夜に帰宅する頃には、疲労のあまり遊ぶ気力消え失せていた。 工場絨毯注文大量に舞い込んだ際は、契約外の労働徹夜となる日もあった。理不尽な労働にイクバルが抗えば、殴りつけられたり、天井から逆さ吊りにされるなどの体罰与えられた。雇い主目を盗んで脱走し警察駆け込むこともあったが、逆に警察によって工場連れ戻され始末で、脱走罰金科せられた。挙句には脱走しないよう織機に鎖で繋がれるようになった仕事上でミスまた、体罰罰金対象となった。 さらにイクバルの家が追加借金をしていたため、相次ぐ罰金借金により、当初600ルピーだった借金は、最終的に13000ルピーにまで膨れ上がっていた。このままでは、イクバルは一生終わりの見えない奴隷同前の生活を送るしかないものと思われていた。 ぼくの両親どうすることもできなかった。ぼくの家族のように貧しい人たち無力なんだ。だから、ぼくは、家族には何も求めなかった。 — イクバル・マシークークリン 2012, p. 102より引用

※この「労働の日々」の解説は、「イクバル・マシー」の解説の一部です。
「労働の日々」を含む「イクバル・マシー」の記事については、「イクバル・マシー」の概要を参照ください。

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