創設者:川名ワカとは? わかりやすく解説

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創設者:川名ワカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 12:11 UTC 版)

菊花高等女学校」の記事における「創設者:川名ワカ」の解説

川名 ワカ明治3年1870年2月8日 - ?)は、栃木県那須郡蛭田町村制施行後は湯津上村現在の大田原市蛭田)において、庄屋務め渡辺家生まれる。4人きょうだい長女第一子であった14歳単身宇都宮に出、三科コト私塾で、漢学・英語・数学・薙刀を学ぶ。塾の助教務めようになったが、コト福島県小学校訓導務めることとなり、この塾は閉鎖された。1888年明治21年)春、コト慕ってワカ含め3名の塾生福島に赴き、彼女たち福島小学校で雇授業生(代用教員)を務めたこの年ワカ19歳の時、福島県師範学校女子部第一回募集があり、ワカ入学条件試験突破して入学した。なお、入学条件中には「他府県の人ではないこと」(福島県費用受給する関係上、福島県戸籍があることが求められた)があったため、福島町鈴木三郎兵衛嫡女という形式整えて入学している。 1891年明治24年3月師範学校卒業後、福島県小学校訓導務める。ワカ子守教育幼児教育目を向けて取り組みはじめた1896年明治29年)に福島尋常高等小学校現在の福島市立福島第一小学校)で正式に子守教育始めた附属子守学校設置した)際には、その担任務めた1897年明治30年)に福島第二尋常高等小学校現在の福島市立福島第二小学校訓導に移ると、同小学校付属幼稚園設け保母兼任した。このほか、視覚障碍者教育始め看護婦養成所舎監務めるなど、各種社会教育従事した女子教育の必要から高等女学校設立にも尽力し福島県立福島高女学校現在の福島県立橘高等学校)の基礎築いたともされるまた、こうした社会事業での接点から、福島拠点にしていた瓜生会(福島県出身瓜生岩子設立した社会事業団体)の活動にも参加救貧事業にも関わった。岩子東京養育院招かれると、福島での瓜生会の事業を預かる一人となったという。 1899年明治32年)、東京に出る。多忙となった岩子が、ワカ助力求めたためという。社会事業関わるとともに小学校に職を求めた本郷区誠之小学校訓導務めた際には、三上参次の子供の一人世話になったといい、1932年出版された『川名女史桃山御陵下の教育』に三上が序を寄せている。瓜生会の活動通じて名士要路知遇得たその後京都移住瓜生会が事業として女工教育目指した際に、信州京都西陣候補となったためである。また、京都府師範学校教鞭とってい川名庄吉結婚媒酌人土屋弘土屋洲)夫妻であった。なお、夫妻その後1男2女を設けている。

※この「創設者:川名ワカ」の解説は、「菊花高等女学校」の解説の一部です。
「創設者:川名ワカ」を含む「菊花高等女学校」の記事については、「菊花高等女学校」の概要を参照ください。

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