創設者・ウィリアム・ヒラリー
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「王立救命艇協会」の記事における「創設者・ウィリアム・ヒラリー」の解説
ウィリアム・ヒラリー(英語版)は、1808年、マン島に住むようになった。彼はたくさんの船がマン海岸の周囲で難破するのを見て、アイルランド海が危ないということに気が付いた。そこで、彼は訓練された人員により運営される国立救命艇サービスの計画を考えた。当初は海軍本部からほとんど返事を得ることができなかった。しかし、ロンドンの社交界の慈善的なメンバーに訴えることにより、この計画は強く採用されることになり、1824年に「国立難破船救命協会」(難破による人命救助の国立協会)が設立された。30年後に現在の組織名である「王立救命艇協会」に変更され、最初の救命艇は、ウィリアム卿の功績を認めてダグラスに配置されることになった。1830年の60歳の時、ウィリアム卿はダグラス港の入口にあるコニスター岩 (Conister Rock) に座礁したセント・ジョージ号 (St George) の救出に参加した。彼は救命艇を指揮し、他の救命艇の船員とともに海に放り出されたりしたが、最終的には死者を出さず、セント・ジョージ号の全員を救出することができた。 ウィリアム卿がコニスター岩の上にリヒュージ塔(英語版) (Tower of Refuge) を建てる計画の準備を提案したのがこの事件であった。この計画は1832年に完了し、今日ではダグラス港の入口に立っている。
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