創設者・金森好子とは? わかりやすく解説

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創設者・金森好子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 01:22 UTC 版)

クローバー子供図書館」の記事における「創設者・金森好子」の解説

金森 好子かなもり こうこ、1932年2月7日 - 2005年10月24日)は、日本図書館員1932年昭和7年)に、金森五郎長女として新潟市生まれ1952年昭和27年)に20歳にしてクローバー子供図書館創設する以降家庭文庫先駆者として児童書関係者多大な影響与えた1958年昭和33年)から1963年昭和38年)までと1969年昭和44年)から1989年平成元年)まで郡山市図書館協議会委員務め児童図書研究会では福島支部長として活動福島県内図書館関係者による「図書館活動話し合う仲間の会」の設立尽力した1996年平成8年)にクローバー子供図書館長を退職し2005年平成17年)に73歳この世去った好子は「遊び心中に読書導入することが大切」と語り館内には子供への配慮随所見られた。連綿と発行し続けた館報には「読書指導」や「読書推進」といった仰々しい言葉登場せず、淡々と目の前にいる子供たちに本を手渡し続けた好子人柄反映されている。子供時代利用者である広瀬容子は、周囲の人から「館長」と呼ばれていたので偉い存在であるという認識はあったものの、子供同じくらいの背丈痩せた猫背おばあさんという印象で、組織リーダーというイメージからはかけ離れていたと語っている。また、子供図書館運営している割には、「大の子供好き」には見えず、「子供教育してやろう」という態度感じられず、むしろ本好き少女そのままおばあさんになった「おとなこども」のような不思議な存在であったという。読み聞かせおはなし会では、時折ら行ったが、その時蚊の鳴くような小さな声で、淡々と自分言葉語り聞かせ子供たち聞き漏らすまい集中して聞いていた。広瀬容子好子の語る「ちいさいちいさい」、「ちいちゃいちいちゃい」というフレーズ記憶残っていると記している。 没後1年迎えた2006年平成18年)に、金森功績を讃えて特集金森さんとクローバー子供図書館」が雑誌『こどもの図書館上で組まれた。福島県立図書館では、金森好子クローバー子供図書館に関する資料重要な児童図書館史資料および郷土資料として収集努めている。

※この「創設者・金森好子」の解説は、「クローバー子供図書館」の解説の一部です。
「創設者・金森好子」を含む「クローバー子供図書館」の記事については、「クローバー子供図書館」の概要を参照ください。

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