創設者・金森好子
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「クローバー子供図書館」の記事における「創設者・金森好子」の解説
金森 好子(かなもり こうこ、1932年2月7日 - 2005年10月24日)は、日本の図書館員。1932年(昭和7年)に、金森五郎の長女として新潟市に生まれ、1952年(昭和27年)に20歳にしてクローバー子供図書館を創設する。以降、家庭文庫の先駆者として児童書関係者に多大な影響を与えた。1958年(昭和33年)から1963年(昭和38年)までと1969年(昭和44年)から1989年(平成元年)まで郡山市図書館協議会委員を務め、児童図書館研究会では福島支部長として活動、福島県内の図書館関係者による「図書館活動を話し合う仲間の会」の設立に尽力した。1996年(平成8年)にクローバー子供図書館長を退職し、2005年(平成17年)に73歳でこの世を去った。 好子は「遊び心の中に読書を導入することが大切」と語り、館内には子供への配慮が随所に見られた。連綿と発行し続けた館報には「読書指導」や「読書推進」といった仰々しい言葉は登場せず、淡々と目の前にいる子供たちに本を手渡し続けた好子の人柄が反映されている。子供時代の利用者である広瀬容子は、周囲の人から「館長」と呼ばれていたので偉い存在であるという認識はあったものの、子供と同じくらいの背丈の痩せた猫背のおばあさんという印象で、組織のリーダーというイメージからはかけ離れていたと語っている。また、子供図書館を運営している割には、「大の子供好き」には見えず、「子供を教育してやろう」という態度も感じられず、むしろ本好きの少女がそのままおばあさんになった「おとなこども」のような不思議な存在であったという。読み聞かせやおはなし会では、時折自ら行ったが、その時は蚊の鳴くような小さな声で、淡々と自分の言葉で語り聞かせ、子供たちは聞き漏らすまいと集中して聞いていた。広瀬容子は好子の語る「ちいさいちいさい」、「ちいちゃいちいちゃい」というフレーズが記憶に残っていると記している。 没後1年を迎えた2006年(平成18年)に、金森の功績を讃えて、特集「金森さんとクローバー子供図書館」が雑誌『こどもの図書館』上で組まれた。福島県立図書館では、金森好子やクローバー子供図書館に関する資料を重要な児童図書館史の資料および郷土資料として収集に努めている。
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