創刊以後の沿革
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1906年(明治39年)- 英語記事のページを開設。 1941年(昭和16年)- 当時の政府の指導で1県1紙とする原則から、一旦休刊する。 1946年(昭和21年)- 河北新報社との印刷提携で復刊。 1948年(昭和23年)- 読売新聞社と業務提携。 1949年(昭和24年)- 自社印刷工場開設。 1981年(昭和56年)- 活字が鉛からコンピュータ使用に変更。 1986年(昭和61年)- 福島市柳町に新社屋完成。 1990年(平成2年)-「民友県民大賞」創設。 1995年(平成7年)-「財団法人福島民友愛の事業団」設立。 1997年(平成9年)- 題字を縦から横に変更。カラー紙面導入。 1998年(平成10年)- 全制作工程をCTS化 1999年(平成11年)- Gコードテレビ番組表掲載開始。ホームページ開設。 2000年(平成12年)- 夕刊を3月31日付で休刊。4月から毎週木曜日に1週間のテレビ番組を掲載した別刷り「TOUCH」(タッチ)創刊。 2001年(平成13年)- ホームページのiモードヴァージョン開設。 2003年(平成15年)- 新聞制作システムを更新。 2004年(平成16年)- 新聞印刷を福島市の自社工場から郡山市の新工場(読売新聞の関連会社、民友は出資していない)へ切り替え。 2005年(平成17年)- ハローキティをCMキャラクターに起用。 2009年(平成21年)- 読売新聞と福島民友との間で、記事を相互に提供する編集協力を締結。 2011年(平成23年)- 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で12日付朝刊は8ページで発行。12日昼には4ページの特別号外を発行。13、14日付朝刊は16ページで発行した。また、相双支社に勤務していた24歳の男性記者が津波に飲まれ、4月2日に死亡が確認された。
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