前面強化改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:38 UTC 版)
1992年に113系のクハ111-1038が成田線久住 - 滑川間の大菅踏切で踏切事故に遭い、乗務していた運転士が変形した運転台に挟まれて殉職した(成田線大菅踏切事故)。JR東日本はこの事故を受け、衝突からの乗務員保護のために先頭部にステンレス板(一部鉄板の例もあり)を追加する工事を進めた。 この種の工事は国鉄時代から行われていたが、同事故以降はより耐性を高めるため、それ以前や他のJRよりも徹底した、独自のメニューに移行した。下部のアンチクライマー(板状の物体)は1枚から4枚(ジャンパ連結器収め部分は2枚)に増強され、窓下の手すりは撤去されて衝撃吸収板が設置された。本来、アンチクライマーは正面衝突時に噛み合うことで他車への乗り上げを防ぐものであるが、ここでは障害物に対する意味合いが強い。年内に全ての非施行車を強化するため、各電車区でも工事が行われた。このうち横須賀・総武快速線の大船電車区と幕張電車区(いずれも現在の鎌倉車両センターと幕張車両センター)の両区での施行車には、塗装を省略してステンレス地に帯テープを貼付されたのみで出場した車両も存在したが、工場入場時に塗装が行われ、短期間で消滅した。 なお、前照灯が白熱電球であった車両は改造と同時にシールドビームへの交換が行われたため、工事の完了によって白熱電球装備車も消滅している。
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前面強化改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:25 UTC 版)
踏切事故増加を受けた対策研究の一環として、1963年にオハ60 144・145へ165系同様の前面部分を設置した上で踏切事故実験が長野工場で行われた。この結果本系列先頭車前面外版を厚くする設計変更がなされたが、更に強化する改造が国鉄時代の1977年より施工された。また早期に本工事が施工された新津車両管理所での施工は原型白熱灯のまま前面強化されたが、その後は前灯シールドビーム化も同時施工された車両が多数である。 JR東日本では1993年の成田線大菅踏切事故を契機に、乗務員保護の観点から前面強化工事未施工車を対象に前面追加工事を積極的に推進し。本系列のみならず国鉄型電車のほぼすべてに施工された。 長野総合車両所・新津車両管理所での施工は国鉄時代と同様の工法であるが、それ以外はステンレス板が貼られた。ステンレス板追加方式ではアンチクライマーも装着されており、初期施工車ではステンレスの地肌がむき出しで落成したが、後に塗装された。
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前面強化改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 01:45 UTC 版)
JR東日本では1992年に発生した成田線大菅踏切事故後、踏切事故で乗務員保護のために前面を補強する工事を積極的に進め、本系列も対象となった。 時期によってステンレス板での補強のところ鉄板で施工した例やアンチクライマーを装備・未装備などの差異がある。
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