前面展望車NSE車の登場とは? わかりやすく解説

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前面展望車NSE車の登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:10 UTC 版)

小田急ロマンスカー」の記事における「前面展望車NSE車の登場」の解説

SE車登場以後特急利用者数はさらに増加し週末には輸送力不足の状態となっていた。また、1960年には箱根ロープウェイ完成し、「箱根ゴールデンコース」と呼ばれる周遊コース完成したことから、箱根観光客自体急増した。更に、1964年東京オリンピック開催控えていたこともあり、特急輸送力増強策が検討された。その結果として、1963年3100形登場した。この3100形は "New Super Express" 、略してNSE車」と呼ばれ、8両連接車だったSE車対しNSE車で11連接車とし、さらに編成両端展望席とすることによって定員増を図った車両である。また、SE車比較する豪華さ強調される車両となった1963年NSE車が4編成製造されたことによって、箱根特急30分間運行実現し同時に新宿小田原の間の所要時間62分にまでスピードアップした。 この時期まで、箱根特急列車愛称列車ごとに異なり後述するようにNSE登場直前時点16種類愛称使用されていたが、NSE車の登場後1963年11月4日からは5種類整理されたほか、準特急という種別廃止となったその後NSE車はさらに3編成増備され、1967年からは箱根特急の全列車NSE車で運用されることになったまた、1964年3月21日からは、それまで夏季のみ運行されていた江ノ島線特急土休日のみであるが通年運行となり、1965年3月1日からは毎日運転となった1966年6月1日からは特急愛称がさらに整理され新宿から小田原までノンストップ列車は「はこね」、途中向ヶ丘遊園新松田停車する列車は「さがみ」、江ノ島線特急は「えのしま」に統一された。なお、途中駅停車する特急はこのときの改正新設されたもので、元来沿線在住箱根観光客対象したものであった1968年7月1日からは、御殿場線直通列車気動車からSE車置き換えられ愛称も「あさぎり」に統一された。列車種別同年10月から「連絡急行」に変更されている。1968年12月31日からは、初詣客に対応する特急初詣号」の運行が行なわれるようになったが、この列車普段各駅停車しか停車しない参宮橋にも停車するのが特徴であった。 しかし、通勤輸送への対応やそれに伴う新宿駅改良工事などの影響で、1972年以降新宿から小田原までの所要時間最速でも69分にスピードダウン余儀なくされた。線路容量不足のため、上り「さがみ」の一部新宿まで運行できず、向ヶ丘遊園終着とする措置まで行なわれた。

※この「前面展望車NSE車の登場」の解説は、「小田急ロマンスカー」の解説の一部です。
「前面展望車NSE車の登場」を含む「小田急ロマンスカー」の記事については、「小田急ロマンスカー」の概要を参照ください。

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