前面展望車NSE車の登場
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「小田急ロマンスカー」の記事における「前面展望車NSE車の登場」の解説
SE車の登場以後、特急利用者数はさらに増加し、週末には輸送力不足の状態となっていた。また、1960年には箱根ロープウェイが完成し、「箱根ゴールデンコース」と呼ばれる周遊コースが完成したことから、箱根の観光客自体が急増した。更に、1964年東京オリンピックの開催を控えていたこともあり、特急の輸送力増強策が検討された。その結果として、1963年に3100形が登場した。この3100形は "New Super Express" 、略して「NSE車」と呼ばれ、8両連接車だったSE車に対し、NSE車では11両連接車とし、さらに編成両端を展望席とすることによって定員増を図った車両である。また、SE車と比較すると豪華さが強調される車両となった。1963年にNSE車が4編成製造されたことによって、箱根特急の30分間隔運行が実現し、同時に新宿と小田原の間の所要時間は62分にまでスピードアップした。 この時期まで、箱根特急の列車愛称は列車ごとに異なり、後述するようにNSE登場直前の時点で16種類の愛称が使用されていたが、NSE車の登場後の1963年11月4日からは5種類に整理されたほか、準特急という種別は廃止となった。その後、NSE車はさらに3編成が増備され、1967年からは箱根特急の全列車がNSE車で運用されることになった。 また、1964年3月21日からは、それまで夏季のみ運行されていた江ノ島線の特急が土休日のみであるが通年運行となり、1965年3月1日からは毎日運転となった。1966年6月1日からは特急の愛称がさらに整理され、新宿から小田原までノンストップの列車は「はこね」、途中向ヶ丘遊園と新松田に停車する列車は「さがみ」、江ノ島線特急は「えのしま」に統一された。なお、途中駅に停車する特急はこのときの改正で新設されたもので、元来は沿線在住の箱根観光客を対象としたものであった。1968年7月1日からは、御殿場線直通列車が気動車からSE車に置き換えられ、愛称も「あさぎり」に統一された。列車種別は同年10月から「連絡急行」に変更されている。1968年12月31日からは、初詣客に対応する特急「初詣号」の運行が行なわれるようになったが、この列車は普段は各駅停車しか停車しない参宮橋にも停車するのが特徴であった。 しかし、通勤輸送への対応やそれに伴う新宿駅再改良工事などの影響で、1972年以降、新宿から小田原までの所要時間は最速でも69分にスピードダウンを余儀なくされた。線路容量不足のため、上り「さがみ」の一部が新宿まで運行できず、向ヶ丘遊園終着とする措置まで行なわれた。
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