前・中期旧石器の発掘とは? わかりやすく解説

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前・中期旧石器の発掘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:27 UTC 版)

日本列島の旧石器時代」の記事における「前・中期旧石器の発掘」の解説

日本酸性土壌が多いため、骨などが残りにくく前期中期旧石器時代遺跡とされるものは発見難しい。近年考古学調査により、数は少ないものの、岩手県遠野市金取遺跡で9〜8万年前の中期旧石器とされるものや、島根県出雲市砂原遺跡で約12万年前の前期旧石器とされる遺物発見され、その存否について議論続いている。 日本では縄文時代より前の時代先土器時代、または無土器時代呼んでおり、土器の時代遡る時代遺跡遺物長い間発見されず、土器以前日本列島人類居住していなかったと考えられていた。ところが、1949年昭和24年)に、相沢忠洋が、岩宿群馬県新田郡笠懸村、現・同県みどり市笠懸町阿左美地内)で関東ローム層中から旧石器発見した日本の旧石器時代調査・研究は、ここから始まった。現在までに、日本列島全域4000所を超える遺跡確認されている。これらの遺跡のほとんどが約3万年前から1.2万年前の後期旧石器時代残されたものである。 後期旧石器時代証明されるとさらに古い時代発掘試みられた。1960年代から大分県丹生早水台、栃木県星野遺跡岩宿D地点などが調査され前期旧石器存否論争が行われたが、多く研究者賛同得られなかった。これらの論争は「丹生論争」、「珪岩前期旧石器論争」などとして知られている。 1970年代にはいると前期旧石器探索薄らぎ層位編年研究遺跡構造解明傾斜していった。 旧石器捏造事件1980年代から東北地方中心に前期旧石器時代中期旧石器時代日本存在したという証拠次々「発見」された。発見中心人物藤村新一で、従来常識覆す成果」とされ、日本の旧石器時代は約70万年前まで遡るとされた。しかし、2000年平成12年11月に、藤村宮城県上高発掘現場石器埋めところを毎日新聞取材班が撮影し同年11月5日旧石器発掘捏造報じたその後日本考古学協会調査藤村関与した33か所の遺跡のすべてが疑わしいものとされ、今のところ前・中期旧石器時代確実な遺跡日本には存在しない理解されている。 長野県飯田市竹佐中原遺跡発掘調査された。この遺跡の4カ所の石器集中地点から800余点の遺物出土した石器包含層の堆積年代自然科学分析火山灰分析植物珪酸体分析炭素14年代測定法光ルミネッセンス年代測定など)した結果、3万年より古く5万年より新しいことが分かった。4か所から出土した石器は2グループ分けることができ、一つは3万年〜3数千年前後期旧石器時代初め頃)、もう一つは3数千年前5万年前のものであること推測されている。つまり中期旧石器時代から後期旧石器時代移り変わる時期遺跡であると考えられている。

※この「前・中期旧石器の発掘」の解説は、「日本列島の旧石器時代」の解説の一部です。
「前・中期旧石器の発掘」を含む「日本列島の旧石器時代」の記事については、「日本列島の旧石器時代」の概要を参照ください。

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