砂原遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 22:26 UTC 版)
砂原遺跡(すなばらいせき)は、島根県出雲市多伎町砂原に立地する中期旧石器時代とされる遺跡である。2009年(平成21年)の同志社大学等による発掘調査で検出された石器群について、同大学教授の松藤和人により、12万年前~11万年前に遡る日本最古のものとする見解が示されている[1]。
注釈
- ^ 長さ4メートル、高さ約2.5メートル[2]。
- ^ 赤褐色の玉随を用い、表裏ともに剥離された長さ5センチメートルほどの縦長状であった。打瘤裂痕(バルバー・スカー)をとどめる打瘤(バルブ)に接して小さな打面と打撃錐が観察された[3]。
- ^ 「玉随」とは石英の細長い結晶が網目状に集まった鉱物であり、白・紅・緑色などで、蝋のようなつやがある。印材等に利用される[4]。
- ^ この分厚い層の給源が同定されれば、石器を包含する地層の年代が絞り込める。
- ^ 水で土を洗いおとすと、裏面に丸く摩滅した礫面をとどめ、平坦な打面を打撃して正面側から並列して縦長の剥片を二枚剥ぎ取った後が明瞭に観察された。
- ^ 微粒な砂を主体とし、粗めの砂や粘土が混交する堆積層。
- ^ 約6~13万年前。
- ^ 約7300年前。
- ^ 約2.6~2.9万年前。
- ^ 発掘溝ともいう。地表下の遺構を探すために掘られた適切な幅と長さの溝状の発掘区をいう[7]。
- ^ 不規則な亀甲状の乾裂は水分を含んだ泥土が空気や太陽の輻射熱にさらされ乾燥するときに形成される。
- ^ 地理学でいう層理面。
- ^ 水辺に生える植物の根や茎などが褐鉄鋼や二酸化マンガンなどに置換されたもの。
出典
- ^ 日本経済新聞. “島根・出雲の砂原遺跡の石器、「日本最古」に再修正”. 日本経済新聞社. 2022年5月29日閲覧。
- ^ 松藤 2014, p. 119.
- ^ 松藤 2014, pp. 115–116.
- ^ 西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫 2011, p. 368.
- ^ 松藤 2014, pp. 117–124.
- ^ 松藤 2014, pp. 128–132.
- ^ 川崎 2005, p. 339.
- ^ a b 松藤 2014, pp. 132–152.
- ^ 松藤 2014, pp. 155–164.
- ^ 上峯 2014, pp. 1–16.
- ^ 山田 2017, pp. 61–69.
- ^ 松藤 2014, pp. 165–173.
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