再発見以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:24 UTC 版)
1900年に3人の研究者(ユーゴー・ド・フリース、カール・エーリヒ・コレンス、エーリヒ・フォン・チェルマク)がそれぞれ独自にメンデルの法則を再発見した。ちなみに、同年、ウィリアム・ベイトソンはたまたまメンデルの論文を入手して、その重要性に驚いて広く説いて回った。とりわけ、ベイトソンとカール・ピアソンの間では激しい論争が繰り広げられた。 このようにして遺伝子の論が広く知られると、1902年にはウォルター・S・サットンが染色体の観察から遺伝の染色体説を提唱した。染色体上に遺伝子があるとすると独立の法則が危うくなる(実際、ベイトソンや後述のモーガンがそれぞれスイートピーやショウジョウバエでこの法則が成立しないケースがあることを発見している)が、これを埋めたのが連鎖と組み換えの発見である。モーガンらは、ショウジョウバエを材料として突然変異を調べ、目が白いものを筆頭にいくつもの突然変異を見つけ、そのうちのいくつかは伴性遺伝をすることから、雌雄によって本数が違うX染色体上にこれがあるはずだが、突然変異の数だけX染色体があるわけではない(雌2本、雄1本)のでこれらの突然変異が何か一定の関係をもってX染色体に乗っていることが推察され、そこで染色体上の遺伝子が「乗り換える」という仮説を立て、2本の相同染色体が互いにその一部を交換すると仮定して分析をしたところ、各々の遺伝子は染色体上の一定の位置に規則正しく配列されているという結論に達した(これ以外に突然変異の起こる率が染色体の長さに比例することや、染色体の不分離現象からもこうしたことが確認された)。こうしたことを基に染色体説が証明され、ショウジョウバエなどでどこに何の遺伝子が乗っているかを調べる染色体地図(リンゲージ地図)という物が作成された。 さらに1933年のペインターによる双翅類の唾腺染色体(普通の染色体に比べて長さも幅も100倍以上ある)の遺伝子のあると思われる部分にアセトカーミンで染めた場合濃い帯の縞模様が出てくるが、これが熟練するとどこの部位かも分かるほど太さや間隔に規則性が見られ、染色体異常の個体の場合も異常が明瞭に観察できると報告し、モーガンの弟子のブリッジェスはこの研究を進めショウジョウバエの「唾腺染色体地図」という物を作成し、ショウジョウバエの研究に前述のリンゲージ地図と共に重要な役割をしたが、この「遺伝子は染色体上に一定の順序で並んでいる」というのはその後人間を含む高等生物からカビ・バクテリア・ファージといった微生物まで成立すると分かった。 また、この時代と平行して、集団遺伝学の成立、ハーマン・J・マラーのX線によるショウジョウバエの人工突然変異の誘発、テロメアの発見、自然選択説と遺伝学の統合を図るネオダーウィニズムの誕生、バーバラ・マクリントックによるトウモロコシにおけるトランスポゾンの発見も起こっている。
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