再発見までの経緯とは? わかりやすく解説

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再発見までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 09:44 UTC 版)

タイハク」の記事における「再発見までの経緯」の解説

タイハク日本原産のサクラであるが、一時的に日本失われイギリスから逆輸入することで日本復活したサクラである。1926年大正15年/昭和元年)、東洋サクラ収集していたイギリス人園芸家コリングウッド・イングラム来日し日本サクラ栽培品種見学したところ、自邸の庭で栽培していた一部日本産サクラを見つけることができなかった。 1930年昭和5年)、イングラム船津静作が所蔵する古い絵図見せてもらったところ、この自邸の庭で栽培していたサクラが、以前京都栽培されていたが日本では失われてしまったサクラである事が判明した。そこで1932年(昭和7年)にこのイングラム自邸の庭のサクラ香山益彦を通じて日本里帰りし、佐野藤右衛門により接ぎ木増殖され、改め鷹司信輔によりタイハク太白)と命名されのである19世紀後半幕末から明治時代欧米人来日するうになると、フゲンゾウウコンなどの多くサクラ栽培品種海外持ち出されたことから、タイハク同時期にイギリス持ち出されたと考えられている。また明治時代近代化により武家屋敷神社仏閣水路沿いの街路植えられていた多く栽培品種サクラ伐採されたことから、タイハク同時期に日本一時的に失われていたと考えられている。一方江戸時代以前文献コマツナギ駒繋)やクルマドメ(車駐)と命名され栽培品種があり、現代遺伝子解析により現存するコマツナギの木とタイハク同一クローンであると確認されている事から、日本でもタイハク絶滅せずにコマツナギの別名で残っていたという説もあったが、江戸時代文献記録されているコマツナギタイハク形態明らかに違うため、栽培されている長期間のうちに両者混同されたと考えられている。 なお、タイハクのようにイギリスから日本里帰りして日本復活したサクラには、1866年ドイツ人シーボルト日本国外持ち出していたホクサイがある。タイハクホクサイ海外持ち出されたことで絶滅逃れたが、それ以外カンザンなどの多く古くからあるサクラ栽培品種は、明治時代荒川堤移植されたことで、その命脈を現在に繋ぐことができた。

※この「再発見までの経緯」の解説は、「タイハク」の解説の一部です。
「再発見までの経緯」を含む「タイハク」の記事については、「タイハク」の概要を参照ください。

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