集団遺伝学の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 23:28 UTC 版)
「ネオダーウィニズム」の記事における「集団遺伝学の成立」の解説
総合への第一歩は集団遺伝学の成立であった。ロナルド・フィッシャー、J・B・S・ホールデン、シューアル・ライトは大きく貢献した。フィッシャーは1918年の論文で、生物測定学者によって計られた変異の連続性が個々に分離した遺伝子の働きによってどのように作り出されるかを論じた。これと彼の1930年の著作『自然選択の遺伝的理論』で、フィッシャーはメンデル遺伝学が初期の多くの遺伝学者の考えに反して、自然選択によって進化が引き起こされるという概念と完全に一貫性があることを示した。 1920年代にホールデンは一連の論文で、現実世界の自然選択の例(例えばオオシモフリエダジャクの工業暗化のような)に数学的分析を適用した。ホールデンはフィッシャーが仮定したよりも速く、現実世界で自然選択が作用することを示した。 シューアル・ライトは孤立した比較的小型の交配可能集団の研究を行い、遺伝的浮動を発見した。1932年の論文では小型個体群における異種交配や遺伝的浮動が彼らを適応のピークから押し出し、自然選択が新たな適応のピークへ彼らを押し込む適応景観(適応地形)の概念を提案した。ライトのモデルは現実の世界で個体群の地理的隔離の重要性に気付いていたテオドシウス・ドブジャンスキーやエルンスト・マイアのようなフィールド研究者に影響を与えた。 フィッシャー、ホールデンとライトの研究は集団遺伝学を創設した。集団遺伝学は、より幅広いアイディアの結晶である総合説の先駆である。
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