共同危険型の盛衰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 21:11 UTC 版)
1980年前後に暴走族は最盛期を迎えた。警察庁の1980年11月調査では、全国で754グループ、38,902名の暴走族が確認された。これは1980年6月に比べて10.8%増の数字である(女性暴走族は948名から1,426名に増加)。低年齢化も進み、15歳以下の構成員は、1976年当時の47名から1,208名へと約25倍になっていた。1981年にもグループ数はさらに増加し、835グループが確認され、8,255名が検挙された(前年比82.5%増)。 彼らはパンチパーマに剃り込みを入れた髪型に、革ジャンか刺繍などの装飾を施した特攻服を着用、自身らのことを“ツッパリ”という語で呼ぶようになり、徒党を組んで集会などを行った。この後、「ツッパリ」は暴走族以外にも拡大し、次第に不良行為を行うことで自己を顕示する少年少女らのスタイルとして定着するようになる。ツッパリファッションを身にまとった「リーゼントロック」音楽バンドが、当時の管理教育に反発する少年層の間で大流行し、ツッパリファッションを子猫に着せた「なめ猫グッズ」が発売されたのもこの時期である。 しかし暴走族文化の拡大とともに、本来は「10代の若者が、学校や社会に反発していることを示す行動様式」とされた暴走族は、次第にOBを含めた上下関係や既存の暴力団との繋がりを持ち、グループ内の制約遵守や規律を守らない構成員に対する制裁などの掟に、構成員はがんじがらめとなってきた。若者を取り巻く環境の変化に伴って、この厳しい伝統的拘束を嫌う傾向が青少年層に強く見られるようになる。地縁で結ばれた先輩後輩関係の強力なリーダーシップの希薄化、集団行動への忌避意識の高まりといった風潮の影響も受け、大きな責任を背負って主従関係を維持し、組織を編成・運営していくスタイルは成り立ちにくくなってくる。 また、若者は暴走より移動手段としてバイクを重宝するようになったこと、スマホの台頭ですぐに人と繋がれるようになったことも暴走族衰退と見る声がある。 これに替わって、1980年代半ば以降の大都市においては、厳しい上下関係を嫌う者たちが、アメリカのストリートギャングを真似た「カラーギャング」や「チーマー」と呼ばれる集団へ流れる傾向が見られた。1990年代以降では少年向けファッション誌などの登場に代表されるファッション性重視の少年層増加に伴い、旧来の特攻服をまとったスタイルに垢抜けない「時代遅れ」的なイメージを持つ傾向が強まり、暴走族文化は若者の間で次第に廃れていった。
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