公園の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:04 UTC 版)
小浜公園の設営は、直接には大正天皇即位を記念した事業の一環として行われた。小浜町香取から今富村(1951年に合併し小浜市)青井の海望山麓に至る海岸を埋立て、海望山の一部を開削して公園にする工事が1913年(大正2)度から4年度にかけて行われ、経費1万9千円余はすべて寄付金で賄われた。 公園開設とその寄付金募集活動の中心となったのは、「小浜実業会」(会長山口嘉七)であった。公園の計画はそれ以前にも課題となっていたものの好機がなく、この頃佐久間艇長像の建設地を選定中であった海軍に働きかけて銅像設置が実現することとなった。小浜線の敷設がようやく日程にのぼってくる中で、鉄道旅客の小浜に誘致する地域振興策であった。 小浜地方は東に貿易港たる敦賀を控へ西に軍港たる舞鶴及天橋の勝地を控へて其中間ニ介在せるを以て昔時戸数三千天然の良港を有し若州第一の都会北陸有数の名邑と称せられたるにも拘らす廃藩後は状況一変し実業振はす戸口逓減し年を逐ふて漸次衰微に赴くの傾向あり(中略)敦鶴鉄道の開通を見んとする機運に向ひ当地の衰微を挽回せんとする秋に際し小浜実業会は此期を逸せす鉄道往来の旅客を誘致して小浜に足を止めしむるに供すへき公園を創設し他国人をして此に遊覧娯楽せしむるは亦地方繁栄策の好資料たるへきことを認め之を発起 — 「設置趣意と銅像建設」(カタカナはひらがなとした) 公園開設以来、昭和の初期までは秋の放生祭の時期に毎年大きな小屋が建ち、サーカス、動物園、曲芸師らが興行を行うようになり、祭の後も1週間程は興行が続いた。茶碗や植木を扱う店もともに興行し、近隣の各学校から教師引率のもと生徒が見学に訪れるなど、まちの賑わいの中核となった。
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