上滝公園の開設と発展
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更に1927年(昭和2年)6月10日に富山県営鉄道が電化されると、上滝町は観光地化に更なる意慾を示すようになり、同年12月に周辺の地主であった曹洞宗大川寺との間に一帯の公園化について会合が行われ、結果として町は大川寺より大規模な土地の無償提供を受けた。この公園化計画には富山県としても大いに期待を寄せるところとなり、1928年(昭和3年)4月10日に富山県電気局は上滝町との間に公園に要する用地一万坪に係る借地の覚書を手交した。こうして公園化工事はまず道路整備から県の指導を仰ぎつつ進められ、最寄り駅である上滝公園下駅も1929年(昭和4年)6月10日に開業した。1931年(昭和6年)10月に展望と休憩を兼ねた鉄筋コンクリート造2階建ての「大観台」が完成し、1933年(昭和8年)10月4日には野球場兼陸上競技場が竣工するなど整備は進み、1936年(昭和11年)頃からは北陸地方初のゴルフ場の供用が開始された。このゴルフ場はゴルフ好きであった齋藤樹富山県知事や日本海電気社長の山田昌作が直々に踏査して、上滝公園を選定し整備されたもので、9ホールを有し、芝の手入れのために米国製の芝刈機が輸入された。1940年(昭和15年)には東京高等造園学校の学生を招いて純日本式庭園が整備された。
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