光輪寺薬師堂とは? わかりやすく解説

光輪寺薬師堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 08:40 UTC 版)

光輪寺 (長野県朝日村)」の記事における「光輪寺薬師堂」の解説

光輪寺本堂南側薬師堂がある。本尊薬師如来現在の薬師堂棟札記載から宝暦10年1760年)に建立されたことがわかり、県宝に指定されている(棟札宮殿くうでん)が附指定)。入母屋造茅葺桁行5間、梁間4間で正面1間向拝付し前方梁間2間分吹き放し(壁・建具入れない)とする。本建物のように、平面半分吹き放しとする例は珍しい。向拝頭貫かしらぬき)や虹梁こうりょう)の木鼻唐獅子などの彫刻飾り主体部中備組物組物中間に置く部材)にも唐獅子力士などの具象的な彫刻用いる。昭和初期までは松本盆地一帯に「西洗馬おやくし」として知られ堂前から松本市今井今井神社まで延び旧道沿いには、薬師堂への道を示す石標多数現存する境内には西国坂東秩父百体観音四国八十八カ所などの多く石仏がある。 本尊 薬師如来坐像 - 一木造り像高68センチ鎌倉時代~室町時代初期の作とされる後世木割れのため、像の表面には鎹(かすがい)が多用され墨書削り取られている。蓮華座墨書には天和3年1683年)に修理された旨が記載されている。脇侍日光・月光菩薩立像を同じ厨子内に安置する秘仏定期的な開帳などの公開行われていない。 脇侍 日光菩薩・月光菩薩立像 - 一木割矧(わりはぎ)造り像高は両像とも92センチ。県宝に指定されている。鎌倉時代元亨3年1323年)、善光寺妙海の作であることが墨書から判明する。妙海は信濃地方作品残し代表作には上伊那郡辰野町の上観音堂十一面観音立像などがある。 四天王像 - 鎌倉時代末期室町時代の作。像高は、増長天多聞天が1メートル54センチ持国天が1メートル64センチ広目天が1メートル70センチ十二神像 - 室町時代末期江戸時代の作。寄木造り像高75センチ前後

※この「光輪寺薬師堂」の解説は、「光輪寺 (長野県朝日村)」の解説の一部です。
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