作中の描写と類似した実際の出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 03:17 UTC 版)
「かっとばせ!キヨハラくん」の記事における「作中の描写と類似した実際の出来事」の解説
河合が本作で描いたストーリーと類似した出来事(選手の移籍、監督の就任等)が、後日実際に発生したケースがある。 巻 作品の内容 実際の出来事 1 キヨハラがカイアンツに紛れ込む。三塁に滑り込んだ際にタッチをしたオチアイが気づき「キヨハラが来ると三冠王が取れない」とオー監督に抗議。 西武・清原が1996年オフにFA宣言で巨人に移籍。当時巨人に在籍していた落合博満は清原の移籍により自ら日本ハムへ移籍した。なお、実際に落合はセ・リーグで三冠王を獲得していない(首位打者のみ獲得できなかった)。 2 1987年の日本シリーズに中日ドラポンズのホシノ監督と選手らが現れ「来年はうちが優勝するから」といって胴上げの練習をする。 翌1988年、セ・リーグのペナントレースを制した優勝チームは中日だった。 4 モリ監督の代わりに西武の監督代行を務めたナガシマが近鉄との試合後に、キヨハラに加えアワノ、オーイシをカイアンツへ誘う。そしてクドーもそれに便乗しようとする。 阿波野秀幸は1995年、工藤公康は2000年に巨人に移籍。 5 クワタが優勝を逃して落ち込むオー監督のために、オチアイ、ヒロサワ、ポンシェ、コバヤカワをカイアンツに入団させる。ただし、一球団につき5名の選手を放出することが条件となり、ナカハタは横はば太洋のコバ監督に連れて行かれそうになる。 落合は1993年オフ、広澤克実は1994年オフにそれぞれFA宣言で巨人に移籍。中畑清は2012年に横浜大洋の後身である横浜DeNAベイスターズの初代監督に就任する。また、2008年よりFAによる移籍が発生した場合、移籍元の球団が移籍先の球団に選手を1名請求できる人的補償も導入された。 5 ヒガシオが「モリさんの次の監督はオレだ」とボケる。 6年後の1995年、東尾修は森祇晶の後任として西武の監督に就任する。 5 タイエーのスギウラ監督から入団を誘われたヒガシオが、「お前らも来るか?」とアキヤマ、イシゲ、クドーの3人をタイエーに連れて行こうとする。 秋山幸二は1993年オフに交換トレードで、石毛宏典・工藤公康は1994年オフにFA宣言でダイエーに移籍。 9 タイエー戦だから遊んでみようと思ったモリ監督が、デラストーデをピッチャーに起用。しかしクワタのイヤガラセで登板出来なかった。 東尾が監督に就任した1995年にオレステス・デストラーデが公式戦(対オリックス戦)で投手として登板。 9 オリッグスのフーマーが、タイエーのユガミダニに変装してタイエーの選手として出場 。 2年後の1992年にブーマー・ウェルズはオリックスからダイエーへ移籍する。 9 ロッデのムラタが、タイエーのムラタの代わりで助っ人として出場 。 5年後の1995年に村田兆治はダイエーに投手コーチとして入団。 10 話題作りのため、近鉄とオリッグスが連合チーム「オリッ鉄バッパローブス」を結成。 2004年の球界再編問題において、同年オフに近鉄がオリックスに吸収合併され、2005年からオリックス・バファローズとなる。 11 カイアンツ入団前のモトキが2番のユニフォームを着て現れる。 1994年に元木大介は背番号「37」から「2」に変更。 14 ノムラ監督に「しごいてやる」と連れて行かれたカズシゲに対し、ナガシマ監督が「来年はきっとトレードで獲得してやるからなー」と発言。 直後の1992年オフ、長嶋一茂は野村による無償トレードで巨人に移籍する。
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