仮館時代とは? わかりやすく解説

仮館時代(1947-1971)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:39 UTC 版)

岡崎市立中央図書館」の記事における「仮館時代(1947-1971)」の解説

太平洋戦争末期廃館した後、約2年間にわたって全面的に休館1947年7月11日には岡崎公園内の康生町511にある演舞場(戦時中青年学校校舎)だった建物にて再開館した。所在地岡崎市康生町515、この場所は後に公園管理事務所となり、現在の岡崎公園グラウンド東側付近に相当する戦後初の館長には岡崎市教育長との兼任横田良四が就任したが、横田1955年昭和30年)頃に専任図書館となっている。延床面積戦前半分程度280 m2であり、再開館時の蔵書数戦後の混乱影響して1,000程度だった。閲覧時間午前10時から午後5時、閲覧料は1回50銭、館外貸出はできなかった。1947年には愛知学芸大学岡崎分校CIE図書室設置されている。 1950年昭和25年9月には部分的に開架導入され分類には日本十進分類法導入された。1949年昭和24年)には岡崎市立図書館運営委員会設置され1951年昭和26年)には図書館法則って岡崎市立図書館設置条例公布された。1955年には岡崎図書館協会発足している。1952年昭和27年)の利用者数は32,734人(115人/日)であり、閲覧図書数は62,565冊(221冊/日)だった。一般利用者は約25%であり、残りすべてが児童だった。 1954年昭和29年)には館外貸出開始対象高校生以上であり、1回につき最大1冊・最大1週間であり、保証金として300円を支払う必要があった。1957年度蔵書数27,672冊であり、館外貸出数は6,051冊、館内利用数は64,584冊だった。この年予算総額2932200円であり、うち備品費が1275000円だった。1958年昭和33年)には横田後任の第5代館長杉本斌が就任した1959年昭和34年9月伊勢湾台風1962年昭和37年)の台風14号では岡崎市立図書館被害受けたが、岡崎市図書館よりも岡崎城岡崎市民会館再建優先した1962年には開館50周年迎えたが、記念行事などは特に行われていない。旧青年学校校舎建物古くて狭くテニスコート隣接していたことで騒音がひどく、低地にあったため何度も洪水被害受けた様々な問題があったため、六供町字出崎15番地1の愛知県立岡商業高校移転したのを機に1962年12月11日には岡崎商業高校使用していた建物移転した北側校舎改修し、3教室の間の壁を取り払って書庫事務室としたほか、2教室閲覧室としたが、教室黒板そのまま残された。延床面積は920 m2、蔵書数は4となった。この場所は現在の甲山会館付近である。1966年4月には岡崎市官財課次長務めていた西崎清忠が杉本後任館長就任した。 この建物老朽化激しく寒々としていて薄暗かった同地岡崎市民会館建設決定したことから、1966年昭和41年5月1日には康生通西2丁目20にある旧岡崎警察署庁舎移転した。この場所は現在の岡崎シビコ付近である。この建物木造2階建で延床面積は約1,200m2と広かったが、大正初期建築物であり老朽化進んでいた。同年には家康文庫設置されている。

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