仮館舎時代(1966-1970)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/31 06:32 UTC 版)
「瀬戸市立図書館」の記事における「仮館舎時代(1966-1970)」の解説
1964年(昭和39年)には東京大学愛知演習林の施設が東松山町から五位塚町に移転したため、1966年(昭和41年)には木造瓦葺き平屋の学生宿舎を改造し、図書館の仮館舎に転用した。この建物の延床面積は複合施設時代とさほど変わらない522m2であり、学生向け寝室が書庫に転用されている。複合施設の図書館は1966年(昭和41年)6月21日から休館し、7月10日に仮館舎で再開館した。再開館時の蔵書数は約26,600冊だった。 仮館舎は丘を越えた位置にあり、奥まった場所にひっそりと存在していたため、複合施設時代と比べて利用者数は半減した。1965年の貸出冊数17,167冊が1966年には約8,500冊となり、特に児童書の減少数が大きかった。利用者数低迷の打開策としては、新刊紹介の郵便受け配布、貸出方法の改善などが行われている。1969年4月には利用者カード式からブラウン方式に切り替えたが、当時の愛知県でブラウン方式を採用している自治体はまだ少なかった。
※この「仮館舎時代(1966-1970)」の解説は、「瀬戸市立図書館」の解説の一部です。
「仮館舎時代(1966-1970)」を含む「瀬戸市立図書館」の記事については、「瀬戸市立図書館」の概要を参照ください。
仮館舎時代(1955-1972)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:23 UTC 版)
「和歌山県立情報交流センターBig・U」の記事における「仮館舎時代(1955-1972)」の解説
1955年(昭和30年)7月に田辺市立図書館が旧田辺市警察の庁舎へ移転し、公民館から独立すると、紀南分館は同年12月にその一角を借用して移転した。移転により29.5坪(≒97.5 m2)に拡張したがなお不十分であった。1956年(昭和31年)、視聴覚資料を和歌山県社会教育課に返還したため、図書中心の活動に軸足を移し、館報「はまゆう」の発行、母子読書運動の実施、婦人文庫の設置など活動の幅を広げていった。 1960年(昭和35年)、紀南蚕業指導所跡へ移転し、同年10月より田辺市民を対象に分館での個人貸し出しを開始した。田辺市民への貸し出しを開始したのは、施設を田辺市から借用していたという背景がある。1962年(昭和37年)12月に2代目「はまゆう号」を導入、先代より小型化することで、へき地への巡回を容易にした。1968年(昭和43年)度の紀南分館の貸出冊数は31,502冊と過去最高を更新し、着実に成果を挙げていた。1970年(昭和45年)には3代目「はまゆう号」を導入した。
※この「仮館舎時代(1955-1972)」の解説は、「和歌山県立情報交流センターBig・U」の解説の一部です。
「仮館舎時代(1955-1972)」を含む「和歌山県立情報交流センターBig・U」の記事については、「和歌山県立情報交流センターBig・U」の概要を参照ください。
- 仮館舎時代のページへのリンク