仮駅としての開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:33 UTC 版)
1948年(昭和23年)に高田馬場 - 新宿間の免許を取得した西武鉄道は、村山線を高田馬場駅から新宿駅まで延伸することとなった。しかし新宿周辺の区画整理がなされていなかったため、1952年(昭和27年)3月25日に西武新宿駅までを暫定的に開業した。これに伴い、当時「西武線」もしくは「村山線」と呼ばれていた路線は「新宿線」と改称された。西武新宿駅は仮駅のまま営業を続け、新宿駅東口の再開発を待っていた。 元々、当駅の周辺は角筈と呼ばれた地域だった。当駅の場所には都営バスの新宿車庫があった。西武新宿駅(角筈) - 新宿駅間は元々、同社が1951年(昭和26年)まで所有していた新宿軌道線(西武軌道線、新宿 - 荻窪間、後の都電杉並線)の休止区間を東京都に譲渡せずそのまま免許線として保有し、また軌道も長年放置されていた。この軌道跡の所有権を根拠に、ゆくゆくは新宿駅まで延伸する計画だった。 1950年代終わり頃から、新宿東口駅舎を取り壊して駅ビルを建設する計画が立てられた。西武もこの計画に参加し、新宿線は駅ビルに乗り入れる予定になった。新宿歴史博物館の「ステイション新宿」では、新宿駅ビル設計図によると、西武線はビル2階に高架線で乗り入れ、2階には切符売り場・駅務室、1階にも駅務室が置かれる設計であったとされている。一方、「建築界」1964年8月号「新宿東口民衆駅・新宿駅東口地下駐車場」に掲載されたビル竣工時の図面によると、3階に西武駅務室、2階に改札、ホーム事務室、出札室、1階に改札、出札室が設置されることとされている。1961年(昭和36年)3月15日付の『社内報西武』には、西武新宿線の新宿駅乗り入れ決定と、具体的な駅ビルの計画が報じられていた。これによると、1階に駅ホールと西武新宿駅出改札室と駅務室、2階に西武駅務室と建物外にホーム一面、3階に西武駅長室その他が設置される。また「駅ホームはビル外にできるので、伊勢丹の方から見ると当社の電車が真正面から見えるようになる」とされている。「実はこのときの計画の痕跡が今も残っている。ルミネエストの建物は1階の天井が高く、2階はかなり低い。1階の吹き抜けもやたらと広い。かつての設計図を見ると、このフロアの形が西武線乗り入れ計画の名残だとわかる。」。と、駅ビルの1階から2階にかけての吹き抜けを西武線ホームの「名残」とする説があるが、前述の1961年(昭和36年)3月15日付『社内報西武』には「駅ホームはビル外にできる」とされている他、『建築界』1964年8月号「新宿東口民衆駅・新宿駅東口地下駐車場」に掲載されたビル竣工時の図面にもビル外のホームとビル吹き抜けはそれぞれ独立して設置されており、吹き抜けは「西武線乗り入れ計画の名残」ではないことを確認することができる。
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