代表的な産駒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 22:28 UTC 版)
ウィングティング Wing Ting、1904年生、牝馬、母ヴァンアクラ ラニーメードファームで供用されていた最初期の生産馬で、1907年のケンタッキーオークスに優勝した。繁殖牝馬としては産駒をほとんど出すことができなかったが、牝馬の一頭メアリーベルから先の牝系にはステークス競走勝ち馬を数頭出している。 ケンタッキーボー Kentucky Beau、1904年生、せん馬、母ケンタッキーベル 母ケンタッキーベルはラニーメードファームに繋養されていた牝馬で、ハノーヴァーの全妹にあたる馬であった。ケンタッキーベルはスターシュートとの4度交配され、4頭の牡馬を出している。 ケンタッキーボーはその4頭の中での出世頭で、シャンペンステークスやディキシアナステークスなどステークス競走4勝を挙げた。ただ兄弟揃っていずれも去勢されており、これらが種牡馬となることはなかった。 アンクル Uncle、1905年生、牡馬、母ザニース ラニーメードファーム時代にマッデンが種付け依頼をして配合させた馬で、生産者名義はマッデンのものである。綺麗な栗毛の馬体を父から受け継いだが、一方で脚の弱さも受け継いでおり、競走能力に大きな支障をきたしていたという。 1歳時にサム・ヒルドレス調教師に30000ドルで売られて競走馬となった。同期はコリンやケルト、フェアプレイなどの後の名馬がひしめく世代であったが、アンクルは2歳時のサラトガスペシャルで後の最強馬コリンに1馬身差まで迫っての2着に健闘した。しかしそれから数日後の調教中に故障し、翌年の秋まで復帰に向けて取り組まれたものの、結局出走できずに引退した。生涯成績は12戦7勝。 スターチャーター Star Charter、1908年生、牡馬、母チャータークイーン 母チャータークイーンはラニーメードファームに繋養されていた牝馬で、牝馬ジャコネットの2x2(半兄妹同士の配合)という強烈なインブリードを持つ馬であった。 3歳時にはクラークハンデキャップやラトニアカップ、4歳時にはウッドバイン競馬場のオータムハンデキャップなどを制し、その年の賞金王に輝いた。せん馬ではなかったが、記録上は種牡馬として産駒を残していない。 エディーエム Addie M.、1911年、牝馬、母ブレイクウォーター ラニーメードファーム時代に出した最後の大物で、1914年のアラバマステークスに優勝した。半姉にランニングウォーター(1903年生・父サーディクソン)もアラバマステークスを勝っており、姉妹での制覇という珍しい例になった。このほかにもエクセルシオールハンデキャップ連覇など、ステークス競走5勝を挙げている。 繁殖牝馬としては仔出しが悪く、成績はほとんど挙がらなかった。 ウィストフル Wistful、1914年生、牝馬、母ウィットフル ハンバーグプレイスファームでの初年度産駒の一頭で、第1回コーチングクラブアメリカンオークスに優勝した。繁殖牝馬としては5頭の産駒を産み、うち4頭が勝ちあがりを決めたが、それ以上の結果および牝系子孫は残らなかった。 このほかハンバーグプレイスファームの同期には、マンハッタンハンデキャップに勝ったスターゲイザー、キーンメモリアルステークスに勝ったアイボリーブラック、クイーンズカウンティハンデキャップなどに優勝したスターマスター(いずれも牡馬)などがいる。 フェアリーワンド Fairy Wand、1914年生、牝馬、母カウンテスワンダ 上記の馬たちと同じく、ハンバーグプレイスでの初年度産駒にあたる。生涯で60戦して13勝を挙げ、ガゼルハンデキャップなどのステークス競走にも優勝した。 繁殖牝馬としても優れた成績を残し、1925年生まれの牡馬ジニー(父マンノウォー)はドワイヤーステークスなどに優勝、1928年生まれの牡馬エピセット(父エピナード)はホープフルステークスなどを勝っている。 サーバートン Sir Barton、1916年 - 1937年、牡馬、母レディースターリング スターシュートの代表産駒として最も有名な競走馬である。 2歳時にジョン・ケネス・ラソン・ロスに売却され、以後しばらくは不遇な時代を過ごすものの、ペースメーカーとして出走したケンタッキーダービーを逃げ切って優勝、さらにプリークネスステークスとベルモントステークスに優勝し、現代におけるアメリカクラシック三冠を最初に達成した馬となった。1957年にアメリカ競馬殿堂入り、さらに1976年にはカナダ競馬殿堂入りも果たした。 オーダシアス Audacious、1916年生、牡馬、母ボールドガール 3歳時からモンタギューハンデキャップなどで勝ちを挙げていた競走馬であったが、年を経るにつれて能力がさらに向上した晩成の馬であった。 8歳まで競走を続け、サバーバンハンデキャップやクラークハンデキャップなどで優勝、また1920年・1921年にはカーターハンデキャップを連覇している。1921年にはベルモントパーク競馬場のミネオラハンデキャップにおいて、ダート1マイル(約1609メートル)1分35秒60のアメリカレコード記録を樹立した。 グレイラグ Grey Lag、1918年 - 1942年、牡馬、母ミスミニー マッデン自身が競走に使った馬ではなかったが、マッデンは後に「自身が生産した中で最高の馬だ」と同馬を評していた。 2歳時にはシャンペンステークス、3歳時にはベルモントステークスに優勝し、以後も当時の強豪エクスターミネーターなどを破りながら連勝劇を繰り広げ、1921年のアメリカ年度代表馬に選出された。1957年にアメリカ競馬殿堂入りを果たしている。
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