人間と動物の違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 23:03 UTC 版)
昆虫や動物が高い選択性をもって行動している場合があり、それはまるで思考をめぐらせて得られた結論から起因したもののように見える事がある。しかし、実際にはそれぞれが生存や繁殖する上で必要な刺激情報を感覚的に取り入れて行う本能行動に過ぎず、たとえ学習を経て会得した高度な行動パターンでもこの域を出ない。 例えば、メスのダニは交尾を終えると木の枝で哺乳類が通り過ぎるのを待ち、その体へ移る。だが動物が通ることは非常に稀で、そのためダニは場合によっては数年間も待ち続け、数少ない機会を選択して飛び移る。この行動は一見外部情報をダニが選択し、思考を巡らせて飛ぶか否かを決めているように見える。しかしその実態は動物の体が放つ酪酸臭に反応するだけで、あらかじめ身体に仕込まれた反射行動でしかない。雛を守る親鶏の行動も思考し選択をしているように見えるが、これも雛の鳴き声という部分的な信号によって誘発される行動であり、見掛け思考をしているようであってもその実は限定された感覚的情報に突き動かされた本能的反応でしかない。 人類に近いチンパンジーについて、ドイツの心理学者ヴォルフガング・ケーラーは、手が届かないバナナを道具を使って取らせる実験(『類人猿の知恵試験』)を行い、思考についての考察を纏めた。それによると、棒とバナナが同じ視野に入らない場合、チンパンジーがバナナを獲得することは非常に困難になる。また、無用なものも含めた複数の道具がある状況では、成功するまで数々の道具を使った試行錯誤を繰り返す。これらは、バナナを見つけたチンパンジーは本能からそれを手に入れることへ行動エネルギーがベクトル[要曖昧さ回避]化され、実は有用な道具類も同時に見えない限り意味を見出せず、視線を外したとたん切捨てられる傾向があるためである。また、複数の道具の有用性を事前には想像できず、試さなければ判らないという点も汲み取れる。 これら本能行動には無駄が存在する余地は無く、感覚器が収拾する情報は狭い選択範囲に限定されている。これに対し人間は、文明を築き上げ本能行動に依存しない生存環境を作り出したこと、そのために生きるための環境への適応能力を失ったがゆえに雑多な外的情報を無秩序に受け入れる余地を得た。さらにアルノルト・ゲーレンによれば、人間は生物としての衝動的なエネルギーが本能によって方向づけされていないために、関心とも言い換えられる衝動エネルギーが生存の維持とはさほど関係しない事象にまで向けられる特質を持つと言う。そして、この一見無駄とも思えるエネルギーが無秩序な世界を把握する方向に向けられた結果が、自然の制御など人類が生存できる環境の作り変えに発展した。 さらに人間は、一旦眼にしたものを言語化して記憶し、それを後に取り出して別な場面で関連付けることができる。それは経験に裏打ちされた過去の情報でも可能である。このような後天的な学習で得た情報を使ってなにかしらを判断することが思考であり、これは人間のみが獲得した特質と言える。
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