人種と民族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:21 UTC 版)
白人はアトランタ都市圏人口の55.4%を占めているが、10年前の63.0%から減少している。絶対多数ではあり、半数に対してまだ33万人多い。非ヒスパニック白人は59.5%から50.7%まで落ちて、やっと過半数を維持した状態である。増加絶対数は約22万4千人である。 黒人は構成比32.4%であり、少数人種の中では最大である。2000年の28.9%からは増加していた。アトランタ市は、黒人の教育、政治権力、富、文化の中心としての役割故に、昔から「黒人のメッカ」と見なされてきた。2000年から2010年、アトランタ都市圏の中で黒人の分布の地理的背景が大きく変化した。黒人は昔からアトランタ市とディカーブ郡に集中していたが、50万人以上の黒人が都市圏の他の部分に入って行った。グイネット郡では約11万2千人、アトランタ市以外のフルトン郡で7万1千人、コブ郡で5万8千人、クレイトン郡で5万人、ダグラス郡で3万4千人、ニュートン郡とロックデール郡でそれぞれ2万7千人という塩梅である。アトランタは就職機会があるので、21世紀への変わり目以来、北部から多くの若い大学卒業後の黒人が移って来ており、直ぐに郊外部に入った。20世紀にあった黒人の北部への大移住の裏返しである。 年アトランタ市の黒人人口ディカーブ郡の黒人人口アトランタ市とディカーブ郡の合計アトランタ大都市圏黒人人口アトランタ市とディカーブ郡の構成比2000 255,689 361,111 616,800 1,189,179 51.9% 2010 226,894 375,697 602,591 1,707,913 35.2% ヒスパニック系アメリカ人は少数民族の中でも急速に成長している。2000年の6.5%に対して、2010年には10.4%にまで増加した。10年間で298,459 人、109.6%増加したことになった。その中でも国別に多いのはメキシコ系354,351 人、プエルトリコ系 93,337 人、キューバ系 77,648 人である。これらは全て最近10年間で90%以上増加した。都市圏のヒスパニック系人口が最近10年間で29万9千人増加した中で、9万8千人はグイネット郡、5万7千人はコブ郡、5万5千人はフルトン郡(アトランタ市外では3千人に過ぎない)、2万人がホール郡、1万5千人がディカーブ郡である。 アジア系アメリカ人もここ10年間で急速に増加した。2010年には296,956 人のアジア系アメリカ人が居り、構成比では5.9%になっていた。2000年から87%の増加だった。その中でも多いのはインド系108,980 人、韓国系93,870 人、中国系67,660 人、ベトナム系 66,554 人だった。 アトランタ都市圏には約1万人と、ジョージア州でも最大のボスニア系アメリカ人が居る。グイネット郡が多い。 アトランタ都市圏は次第に国際化しており、2010年時点で外国生まれが716,434 人、2000年と比べて69%の増加だった。国内の大都市圏100か所と比べても、ボルチモア、オーランド、ラスベガスに次いで第4位となっていた。人口に占める外国生まれの比率も10.3%から13.6%と増加し、絶対数では国内の大都市圏の中でも第14位から第12位に上がった。ただし13.6%という比率は国内第29位になっている。 アトランタ都市圏の移民は都市よりも郊外部に入っている。郊外に住んでいる外国生まれの比率は国内大都市圏の中でも第11位である。アトランタにはコリア・タウンのような特定民族の町は少ない。ディカーブ郡やグイネット郡の一部にあるビュフォード・ハイウェイ回廊のような地域は多数の民族社会がある商業の中心地である。 1990年、アトランタ都市圏にはアメリカ合衆国南東部では最大数の日本人が住んでいた。在アトランタ日本国総領事館は、同年に7,500人から1万人の日本人がアトランタ都市圏に住んでいると推計していた。アメリカ合衆国南東部の都市圏の中では、1990年時点でアトランタ都市圏が最も広範な日本人のための教育ネットワークがあった。
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