京都大学のサル研究とは? わかりやすく解説

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京都大学のサル研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:15 UTC 版)

幸島」の記事における「京都大学のサル研究」の解説

本格的な研究始めたのは京都大学今西錦司伊谷純一郎らその門下生たちで、戦後間もない1948年からだった。彼らは当初都井岬半野化した岬馬御崎馬)を対象とするため、調査来ていた。幸島野生棲息していることを知ると、「馬では複雑な家族関係や社会成り立っていない」ともの足りなく感じるようになり、 関心幸島ニホンザル向けられた。 そして、ここでの研究から「人間以外の動物にも文化がある 」という説が初め出された。1952年昭和27年)に野生ザル餌付け成功し、より綿密な観察可能になった。1953年夏、幸島対岸住民一人である三戸(みと)サツヱが今西らに「を洗うサルがいる」と告げた。この「芋洗い行動」は最初人間からもらった1歳の雌の子浜辺小川始め海水に浸すことが好まれるようになり、さらにサル血縁群れ仲間広がり、子や孫が受け継いだ従来文化人間固有のものであり、動物にはない」と考えられていた。が、世代超え伝わっていることは、「芋洗い行動」を文化であるとする根拠一つとなっている。 島では与えたを洗う様子観察会が開かれている。また、多くサル2つ両手持って走る様子撮影され一時的にではあるがニホンザル自然に二足歩行することが知られるようになったサル一匹ずつに全て前を付ける(個体識別法)、親子兄弟関係を記録し家系図作るといった手法もここで始められ京都岩田山のニホンザルや、アフリカでのチンパンジーなど他所研究でも広く取り入れられるうになる幸島で、この手法に貢献したのが前述三戸である。 霊長類研究サル学)が欧米人ではなく京都大学中心とした日本人によってリードされ理由一つに、宗教観の違い挙げられている。キリスト教では人間動物頂点に立つ存在で、人間他の動物の間には厳然とした壁がある。「動物にも文化がある」という考え方は、人間動物仲間一つ考え仏教世界観のほうが受け入れやすかったいえよう。 現在、幸島のサル及び生息地は「幸島サル生息地」として国の天然記念物指定されており、文化財保護法によって保護されている。

※この「京都大学のサル研究」の解説は、「幸島」の解説の一部です。
「京都大学のサル研究」を含む「幸島」の記事については、「幸島」の概要を参照ください。

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