幸島のサル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:15 UTC 版)
幸島は古くからサル(ニホンザル)が棲息していたといわれ、大正時代にも旧東北帝国大学などが調査を行っており、90頭の棲息が確認されている。なぜ、人里離れた小島に野生猿が棲息していたかは不明であるが、人為的に持ち込まれたという説が有力視されている。その中で最も有名なのが、平家の落人が小島に隠棲した際に猿を神使として飼い始めたというものであるが、伝承の域を出ない。もっとも、後のサル研究の中では本土との行き来が少数例ながら観察されているので、自然分布の可能性もある。地元では幸島のサルを「和子様(わこさま)」と呼び、神の使いと見做して大切にしてきた。 しかし、太平洋戦争後、米軍の統治下にあった頃、米軍司令官にペットとして献上するために子ザルが狩られてしまい、サルの個体数は激減した。後述する京都大学の研究員らがこの島を訪れたとき、個体数はわずか9頭しか確認できなかった(実際はもっと生存していたとも考えられるが、前述の理由から人間を恐れて山中に逃げ込み、隠れて出てこなかったと推測される[要出典])。
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