サルとのかかわり合い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 04:57 UTC 版)
サツヱの父、冠地藤市は明治4年広島生まれ。19歳の時渡米し農場管理などの仕事をしていた。昭和の初期、広島で事業に失敗し、昭和5年、宮崎県串間市市木に移住。昭和7、8年頃幸島のサルの餌付けなどをしていたが、世の中が悪くなりそれどころではなくなった。彼は自然保護と観光による地域活性化を考えていた。渋沢敬三の著書 『犬歩当棒録』に「幸島の対岸に冠地藤市さんがサルに餌をやるなど保護していると書かれている。彼の運動が実を結び、東京大学の鏑木教授、宮崎高等農林学校(現宮崎大学農学部)の中島茂が調査し、幸島のサルが昭和9年1月に天然記念物に指定された。米軍の統治下にあった頃、米軍司令官にペットとして献上するために子ザルが狩られてしまい、サルの個体数は激減した。1948年京都大学霊長類研究グループが来たとき、サルはみつからなかった。研究者は当時サツヱの父が経営する温泉宿に宿泊した。1947年に大陸から帰ったサツヱは研究グループに加勢をし、1950年にはサルの餌付けに成功した。
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