事業経営者・経営学者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 06:49 UTC 版)
「イゴール・アンゾフ」の記事における「事業経営者・経営学者として」の解説
アンゾフはカルフォルニア州サンタモニカに移り、アメリカ空軍によって創設されたシンクタンクランド研究所の数学部門に職を得た。しかし4年後、数学研究者としての自分にも見切りをつけ新たなキャリアを模索し始める。配属部署を変え、アメリカ空軍に技術や武器の導入に関する勧告を行う大規模なプロジェクトのマネージャーに就任した。彼のランド研究所における二番目の主要な研究は北大西洋条約機構(NATO)の空軍の脆弱性についてのものだった。しかし、ランド研究所も空軍も無形の組織的価値(いわゆる "soft metrics")についての報告書を軽視する現実を目の当たりにしている。これは彼にとって組織の近視眼的な視点についての最初の知見であり、「非連続的な戦略的変革に対する組織的抵抗(The problem of managing resistance to discontinuous strategic change)」という、こののち20年に渡るアンゾフの研究テーマにつながっている。 1957年アンゾフはランド研究所を離れロッキード・エアクラフト社に入社、企業計画部門に入った。ロッキード社では環境の変化に直面した組織をどのようにマネジメントするのか、ということに注意を向け、多角化事業についての計画書の作成に当たった。その際にロッキード社の社長以下上級社員の多くが環境の変化に対応するための戦略的な多角化経営についてほとんど理解していないことを知る。このテーマはその後30年にわたり彼の興味の中心にあり続けた。 その後ロッキード社が買収した企業のひとつであるロッキード・エレクトロニクス社に転出し副社長を務める。その傍ら企業の多角化についての論文を学術雑誌に発表するようになり、ロッキード・エレクトロニクス社を退社後、1963年にカーネギーメロン大学産業経営学大学院(GSIA: The Graduate School of Industrial Administration)の教授に招かれる。なお就任後1年間、リチャード・サイアート(英語版)院長の計らいにより『企業経営理論』執筆のため教壇に立つことを免除されていた。『企業戦略論』は1965年に出版され成功を収める。 1969年にはテネシー州ナッシュビルにあるヴァンダービルト大学のオーウェン経営大学院創設に携わり、初代院長に就任した。大学院業務の傍ら、アメリカ国内に起きた大量な多角化事例を詳細に検証し、『企業の多角化戦略』(原題 "Acquisition Behavior of U.S. Manufacturing Firms, 1946-1965")という重要な著作を 1971年に出版し、多角化戦略の有用性と困難さを明確に指摘している。 1973年から1982年の間は研究拠点をヨーロッパに移しベルギーのヨーロッパ経営大学院およびスウェーデンのストックホルム商科大学において教授を務めた。この期間にもうひとつの重要な著作である『戦略経営論』を出版している。 1983年にアメリカに戻りカルフォルニアに移住、自らのコンサルティング会社を設立し多くの企業を顧客とした。そのかたわらUSIU(The United States International University、現在のアライアント国際大学)で17年間教授を務めた。2001年に教職を退き、2002年7月14日肺炎により死去。享年83歳。
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