事後説明及び廃業までの経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 15:03 UTC 版)
「船場吉兆」の記事における「事後説明及び廃業までの経過」の解説
当初、船場吉兆側は一連の偽装を「パートの女性らの独断によるもの」としていたが、2007年11月14日、売場責任者だったパートの女性ら4人が記者会見し、「店長(湯木尚二取締役)から1か月期限を延ばして売るように直接指示を受けて賞味期限のラベルを張り替えていた」と語り、偽装問題発覚後の10月31日夜、「全責任はパート女性にある」とする会社作成の「事故報告書」に署名・押印を尚二に求められ、パート女性が拒否すると「それは言い訳や」と怒鳴った上、翌日も期限切れ商品を販売した理由を紙に書くよう迫られたと一連の経緯及び船場𠮷兆経営陣の関与を明らかにした。パート女性は押し問答の末、1時間半後に署名せずに帰宅している。 一方、尚二はこれらの証言内容を否定。更に2007年11月16日の大阪府警による家宅捜索・強制捜査でもパート女性従業員の証言や仕入業者の証言を改めて全面否定した。しかし、店の在庫や仕入れの数の報告が大阪の本社に毎日ファクシミリで店舗から送られていたことが農林水産省の調べにより判明するように船場吉兆側の主張に矛盾が生じるに至って、12月10日女将の湯木佐知子ら取締役が会見を開いて経営陣の関与を認めた。佐知子が長男の喜久郎に返答内容を小声で指示し、喜久郎がそれを鸚鵡よろしく繰り返すさまがマイクですべて拾われてしまうといった内容だった。その可笑しさは、東京スポーツ主催の「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」で特別賞を受賞するほどであった。 2008年1月16日、大阪地方裁判所に民事再生法適用を申請。これを受けて裁判所は保全命令を出した。負債総額は、金融機関への債務が約6億、損害保証債務が約2億の計・約8億円であり、新社長に就任した湯木佐知子以外の役員は全員が引責辞任した。1月21日、大阪地裁より民事再生手続の開始決定を受けて佐知子新社長が会見を開いて一連の経緯について再度謝罪し、同席した料理人らより佐知子新社長就任について説明を行った。本店を22日に営業再開する一方、心斎橋店及び天神店の運営から撤退、再生計画は2008年8月5日までに提出するとして、一度は再建の道を歩むかに見えた。 2008年5月、「客の食べ残した料理の使い回し」を10年以上も前から行っていたことが発覚して以降、予約のキャンセルが相次ぎ、客が発覚前の半分、末期には3分の1程度に減少。資金繰りに窮し、グループ内外の支援を受けることもできなかったことから、2008年5月28日、大阪市保健所に飲食店の廃業届を提出し、経営破綻。大阪地裁に民事再生手続の廃止を申し立てた。6月23日、破産手続開始決定。 廃業直前には大阪府料理業生活衛生同業組合から「料亭の評判を傷つけた責任は重大」と退会勧告を受け、組合を脱退している。 船場吉兆本店のあった建物はその後「NLC船場ビル」というテナントビルとして再整備された。
※この「事後説明及び廃業までの経過」の解説は、「船場吉兆」の解説の一部です。
「事後説明及び廃業までの経過」を含む「船場吉兆」の記事については、「船場吉兆」の概要を参照ください。
- 事後説明及び廃業までの経過のページへのリンク