事件その後
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久永元会長は国際スケート連盟の副会長を1998年から2002年まで勤めていたことにより国際スケート連盟の名誉副会長の座に列せられていたが、2007年に有罪が確定したことなどを受け除名された。 利益誘導が指摘された「野辺山リンク」の使用は「他に適当な施設がない」として現在も継続している。また2008年2月、連盟は理事会において、公的な活動を自粛していた8名の元理事のうち、有罪判決を受けた松本元専務理事を除く7名の活動を一部容認すると決定。同年9月には臨時理事会を開き、城田元理事と尼子元理事をISUグランプリシリーズに審判として派遣することを決め、尼子元理事が同年10月に行われたスケートカナダへ、城田元理事は同年11月に行われたロシア杯に派遣された。同年7月平松委員長に代わってフィギュア委員長に就任した伊東理事は「国際審判資格は個人の資格であり、連盟が活動を妨げて資格を失わせることはできない」と両元理事の派遣理由を説明している。 更に伊東理事は同年7月、自身の後任のフィギュア強化部長に城田元理事の側近だった吉岡伸彦理事(千葉大学教育学部准教授)を就任させた。城田元理事辞任後、城田元理事に近いスタッフの多くも強化の中枢を離れていた。しかし城田元理事の過去の実績や強化ノウハウ、国内外の人脈などに期待する選手・コーチ・スタッフもおり、引責辞任後も彼らが彼女に協力やアドバイスを求めることがあった。ついに2009年1月、フィギュアスケートの織田信成・村主章枝両選手が林会長代行に城田元理事の選手強化現場復帰を直接要請。理事会は城田元理事を翌2月の2009年四大陸フィギュアスケート選手権に日本代表のアシスタントチームリーダーとして派遣することを決め、城田元理事の公的な連盟活動と役職への復帰を認めた。更に同年3月の2009年世界フィギュアスケート選手権にも織田・村主両選手らの支援スタッフとして派遣され、城田元理事が再び選手強化の現場に登場することになった。連盟は有罪判決を受けた久永元会長と松本元専務理事以外は理事や強化部長、監督等の要職以外での活動再開を認める方向で、他の元理事も活動を再開する見通し。城田元理事について林会長代行は「(城田元理事の派遣は)フィギュア委員会からの提案。いつまでも活動自粛の拘束をすることはない。ただ理事など要職への復帰は今後もないでしょう。」と述べ、理事やフィギュア強化部長など要職への復帰は今後も認めない方針を示した。 久永会長時代には杉田秀男理事(元フィギュアスケート選手)が会長との確執などから理事職を辞任するなどフィギュアスケート関係者内部にも派閥対立があり、現在も人事などに影響しているとされる。伊東理事は城田元理事の復帰に際して「昔の派閥や確執を引きずらず、日本を強くするために必要な人には活動してもらうべきだ」と話している。 城田元理事の役職復帰と国際大会派遣を決めたことについては連盟内外から反対や批判の声も上がったが、日本オリンピック委員会の複数の幹部は容認した。遅塚研一専務理事は「まだ議論もしていないが、スケート連盟が認めたものをJOCが駄目とは言えない」と述べ、また福田富昭選手強化本部長も「スケート連盟がみそぎが終わったと言っているならそれに従わなければ。選考は競技団体の問題」と話し、いずれも2010年バンクーバーオリンピックで同連盟が日本選手団スタッフに城田元理事を選んだ場合はその決定を尊重する意向を示した。
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