事件とその裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/28 04:19 UTC 版)
1866年アメリカ合衆国ノースカロライナ州でローラ・フォスター(Laura Foster)が殺されて、その愛人で南北戦争のもとアメリカ連合国軍人のトム・ドゥーラ(Tom Dula)が犯人とされて、裁判の結果1868年に絞首刑になった。ローラはナイフで数回刺されて殺されており、その残忍さからと、この事件は新聞が広く報じたので、世間の注目を集めた。 ローラのいとこのアン・フォスター・メルトンはドゥーラが12歳の時からの愛人で、戦争が終わってジェームズ・メルトンと結婚しているにもかかわらず、彼との関係を続けた。ハンサムなトムはアンだけでなく、ローラとも、また彼らのいとこのポリーン・フォスターとも関係を続けた。ポリーンの証言でローラの死体が見つかり、トムとアンが殺人を疑われた。アンはこの事件に関係なかったというトムの証言もあり、無罪になっている。 トムの裁判はウィルクス郡からステイツビルへ移して行われて、彼は有罪となり、絞首刑になった。しかし、絞首刑の直前にトムは「私の手はローラを殺してないが、私は死に値する。」といったと大々的に伝えられて、殺人者はアンで、トムはアンをかばったのだろうという憶測が生まれた。 トムの死刑直後、『ニューヨーク・タイムズ』紙やゼブロン・バンス州知事がトムの有罪に疑問を呈して、この事件は注目を集めた。なお、2001年になって、ウィルクス郡の市民たちの請求でローラ・フォスター殺人事件の再審がおこなわれて、トム・ドゥーラの殺人容疑はすべて棄却されている。
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