中期の活動(1969年 - 1986年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:47 UTC 版)
「多田智満子」の記事における「中期の活動(1969年 - 1986年)」の解説
1972年に第5詩集『贋の年代記』を出版したが、「暮念勧世音」と題した作品も所収されていることからも分かるように、この頃から多田は仏典、漢籍、日本古典などに関心を広げ、特に華厳経に大きな興味を示した。1975年に、夢を題材にした幻想的な散文詩集『四面道』を上梓する一方、初の歌集『水姻』を出版する。翌年には、のちに『古寺の甍』にまとめられる古都紀行の連載を始めるなど、内容、形式両面で幅を広げた時期である。翻訳では『火』、『東方奇譚』などのユルスナール作品に加え、アントナン・アルトーの『ヘリオガバルス』、マルセル・シュウォッブの『少年十字軍』など、多彩な作品を訳す。同時代の時勢に全く関心を示さない多田だったが、当時翻訳されはじめたボルヘスには深い共感と敬意を払った。ほかに、多田が敬愛した文学者として稲垣足穂、呉茂一、西郷信綱、葛原妙子、山中智恵子などが挙げられるが、とりわけ1976年に3人で同人誌『饗宴』を創刊した鷲巣繁男、高橋睦郎とは結びつきが深かった。 『饗宴』誌に多田はエッセイ『魂の形について』を連載した。「不可視のものに形を与える人間の想像力に興味をそそられた」とあとがきに書いているが、このエッセイと、鏡と眼差しについて綴った『鏡のテオーリア』、さらには動植物に神々の世界を見た世界各国の神話を紹介する後期エッセイ集に共通するのは、「見ること」、観照(テオーリア)への多田の深い関心と思考である。1980年には第6詩集『蓮喰いびと』、1986年には第7詩集『祝火』を出版。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}形而上学的、幻想的な作風、そして言葉遊びをはじめとするユーモアなど、多田文学が円熟と完成の域に達したことを示した詩集である[独自研究?]。なお前者の詩集に対しては、1981年に現代詩女流賞が授与された。 英知大学(現聖トマス大学)仏文科教授として教壇にも長年立ち、のちに仏文科学科長、大学院宗教文化学科教授、退任後は名誉教授になっている。
※この「中期の活動(1969年 - 1986年)」の解説は、「多田智満子」の解説の一部です。
「中期の活動(1969年 - 1986年)」を含む「多田智満子」の記事については、「多田智満子」の概要を参照ください。
- 中期の活動のページへのリンク