中期の出土品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:08 UTC 版)
群馬県佐波郡玉村町の下郷遺跡には、SZ46と呼ばれる4世紀末から5世紀初頭の前方後円墳があり、その墳丘裾から出土した円筒埴輪には顔面装飾を表現した線刻人面画が認められた。香川県善通寺市の仙遊遺跡では、蓋石に人面画が線刻された弥生後期の古式石棺が出土している。この石棺の人面画は丸顔で、眼の下から頬へ5 - 7条の線が平行して描かれ、目の上から側頭部にかけては2、3条、目尻から耳へも数本の線が引かれている。これは愛知県安城市の亀塚遺跡や岡山県総社市の一倉遺跡から発掘された土器にも見られ、顔に入墨をした弥生人を表現したものとされている。下郷遺跡の人面画は仙遊遺跡・亀塚遺跡の人面画から顔の輪郭を表わす線を除いただけで非常によく似ている。下郷遺跡の円筒埴輪は墳丘を周辺から区画するために並べられており、これらの人面画は悪霊などの侵入を防ぐ目的があったとされる。 5世紀前半の藤岡市の白石稲荷山古墳からは、長方形または台形の大きな革板を綴じ合わせた草摺をつけた甲形の形象埴輪が出土している。また白石稲荷山古墳(92メートルの前方後円墳)では東西2つの粘土槨に男女が埋葬されている。西槨では首飾りの玉が散乱した状態で出土しており、後藤守一は出土状態から埋葬の際に故意に玉の緒を切り離したものと指摘している。この風習は熊本県宇土市の向野田(むこうのだ)古墳などでも見られ、いずれも女性の埋葬時に確認されている。 伊勢崎市の赤堀茶臼山古墳では8棟の家形埴輪が検出された。これらは形態、大きさ、屋根の押縁や柱の表現から2つのグループに分けられ、一方は切妻造の屋根のある大型平屋で、押縁や柱を粘土帯で立体的に造形している。最も大きな棟には6つの堅魚木があり、これが正殿と見られる。もう一方は全体に小型の切妻屋根の平屋や高床倉庫、寄棟屋根の高床建物で、柱や押縁、板壁の表現は線刻による。これらの家形埴輪は中央に主殿(母屋)、その左右に脇殿(対屋)、背後に倉庫が配列されていた。
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