中期のOHL
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:11 UTC 版)
小モルトケはマルヌ会戦の責任をとって辞任し、後任の参謀総長及び陸軍最高司令官には、プロイセン陸軍大臣のエーリッヒ・フォン・ファルケンハインに取って代えられた。司令部には、ファルケンハインの友人で後の陸軍大臣アドルフ・ヴィート・フォン・ホーエンボルン将軍とフーゴ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン将軍がOHLに加わった。ホーエンボーンは1915年1月にファルケンハインをプロイセン陸軍大臣として引き継ぐまで補給担当将軍を務めた。その後フライターク=ローリングホーフェンはホーエンボルンに代わって補給担当将軍になった。 ファルケンハインが参謀総長及び陸軍最高司令官に就任した頃は西部戦線の中心であるヴェルダンの戦いの最中であった。戦後の執筆で、ファルケンハインは、フランス軍を消耗戦に引き込み、彼らを疲弊させることであると述べた。しかし、戦いが進展するにつれて、独仏両軍の死傷者はほぼ等しくなり戦争は泥沼化した。ヴェルダンでのファルケンハインの戦略の失敗と1916年8月の連合国側のルーマニア王国と戦いの後、彼は8月29日にヒンデンブルクに交代した。
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