中期1(久米・小宮時代、1988年4月 - 1998年3月)
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「ニュースステーション」の記事における「中期1(久米・小宮時代、1988年4月 - 1998年3月)」の解説
新体制となる1988年4月4日から全曜日統一して報道色の強い構成となったが、金曜日は金曜版からの名残もあり、月曜日から木曜日までとは違う雰囲気作りが図られるようになる(これは現在の『報道ステーション』でも変わっていない)。金曜版を引き継ぐ形でミュージシャンやお笑い芸人がゲストとして登場することもしばしばあった。 1990年には久米が第27回ギャラクシー賞・テレビ部門個人賞を受賞。1993年には番組としてギャラクシー賞30周年記念賞を受賞。 1993年7月1日(木曜日)、久米が同年の下半期突入を期にメガネ を着用するようになった。この頃のメガネはまだ報道キャスターらしいシンプルな枠が無いレンズのみのものであり、このメガネは1999年10月の一時降板までは一貫して変更せずに着用し続けた。 1995年4月からは新たにスタジオサブキャスターを金曜日のみに新設。この金曜日のみ久米・小宮・コメンテーターを加えた4人体制となる。 1996年10月3日からスポーツキャスターが坪井直樹から角澤照治に変わり、角澤は番組終了まで7年半にわたってスポーツを担当することとなった。翌週10月7日からテーマ曲と作曲者を約7年半ぶりに新しいものに変更した。 1997年4月から金曜日のみに女性スポーツキャスターを設けた。初代はテレビ朝日スポーツ局記者の長島三奈が務めた。 1998年3月27日、小宮が石田純一の後任として『スーパーJチャンネル』のメインキャスター就任のため降板。但し、金曜日のみの出演に移行した(『Jチャンネル』も半年間は金曜のみ出演せず)。小宮降板後の2代目サブキャスター就任までの間、同年5月8日までサブキャスター代理として月曜から木曜は堀越むつ子(3月30日 - 4月17日)・渡辺みなみ(4月20日 - 5月1日)・渡辺宜嗣(5月4日 - 8日)の3人で繋いだ。
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