世界選手権銀メダル
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続く2014年12月、全日本選手権では3連覇を達成したものの、グランプリシリーズ時から断続的に続いていた腹痛の精密検査のため、エキシビションを欠場して緊急入院。「尿膜管遺残症」との診断結果により、翌12月30日に手術を受けた。3連覇を達成した直後に、NHK杯で見えた壁を越えて見えたものはと問われ「壁です。壁の先には壁しかないのかな、と。人間というのはそういうものだと思うし、課題ができたら、人間は欲深いものだからそれを越えようとします。たぶん、僕は人一倍欲張りなんだと思うのと同時に、それを達成するためにサポートしてくれる環境がある。幸せ者だなと思います」と答えた。 手術後は2週間の入院および1か月の安静治療が必要とされたが、退院後に練習を再開。しかし手術で腹部を4センチほど切り、腹筋の感覚に違和感が生じたことが一因で練習時に右足首を捻挫。再び2週間の休養を要し、3月開催の世界選手権への出場は直前まで危ぶまれた。しかし3月上旬から出場する意向での国内調整を進め、全日本選手権以来の復帰戦に挑むこととなった。 2015年3月、上述の衝突事故が起きた上海の会場で開催された世界選手権では、ショートプログラムで4回転が乱れたものの今季自己ベストをマークして首位に立った。術後の回復をアピールしたかに見えたが、フリーの4回転をどちらも失敗。その後は落ち着いてジャンプを決め巻き返したものの、パーソナルベストには程遠いスコアに留まった。結果は、同門のハビエル・フェルナンデスに2.82点およばず銀メダルとなり、日本人選手初となる世界選手権連覇はならなかった。連覇を逃した心境を「悔しさが9割だが、また追いかけることができる立場になった。悔しさをバネに進んでいける」と語り、復帰戦を終えた。 捻挫のほか、手術痕が炎症を起こすなどのコンディション不全から、続く4月開催の国別対抗戦への出場の可否は世界選手権後に協議されたが、自身初となる出場が決定。ショートプログラムで96.27点と今季自己ベストを更新して首位に立ち、翌フリープログラムも冒頭の4回転サルコウを決めたほか、ミスを最小限にとどめ首位に立った。フリーの演技後に氷上で「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、今季最後の試合を終えた。日本は銅メダルを獲得。エキシビションでは『パリの散歩道』を同季唯一のノーミスで披露し、参考扱いながらも4回転ループ+3回転アクセルのシークエンスジャンプを成功させた。来季に向けては「また一つ一つ課題をクリアしていきたい」と展望を語り、シーズンを締めくくった。
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世界選手権銀メダル
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2016年3月にボストンで開催された世界選手権では、ショートでは自己ベストに肉薄する110.56点を記録。一日あけて臨んだフリーでは「さらに完成度を高めるため」として、後半の4回転トウループを4回転サルコウに変更(実際には左足の靱帯損傷の悪化により変更となった)、しかしここで転倒するなどジャンプの精彩を欠いた演技で、自己ベストには程遠い184.61点にとどまった。トータルスコアは295.17点という結果となり、ショートのリードで逃げ切ることはできず、前回大会と同じく同門のハビエル・フェルナンデスに逆転され、2年連続の銀メダルとなった。期待されながらも王者奪還を逃した敗因を「いい演技をしたい、と欲張った結果が裏目に出た空回りであり、自分の過ち」と分析。演技後は「ここで金メダルを取れないようでは自分はまだまだ」と述べ、去年と同様に悔いの残る世界選手権を終えた。 大会終了後、左足甲の靱帯損傷の治療のため、帰国はせず練習拠点のトロントに戻ると発表。後日正式に「左足リスフラン関節靭帯損傷」により全治2か月との診断を受け、アイスショーへの出演をすべて取りやめ、治療とリハビリに専念することとなった。
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