世界選手権本格挑戦へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 06:26 UTC 版)
「日産・VRH35」の記事における「世界選手権本格挑戦へ」の解説
1989年、VRH35は完成し、R89Cに搭載されて、JSPC、WSPC、ル・マン24時間レース等へ投入された。またエンジン変更とともに、それまで使われていた市販のマーチ製アルミニウムモノコックシャシから、専用に新開発されたローラ製カーボンモノコックシャシへと変更された。 このマシンの特徴は、エンジン本体をストレスマウント(剛性部材)化して利用するというものであった。当時既にF1などのフォーミュラカーではよく使われている手法であったのだが、プロトタイプマシンではその手法はほとんど採られていなかった。これは林義正による提案によるもので、ローラ側からその提案に対して「アンタ、気は確かか?」とも言われたが、最終的にはローラ側がその意向に従う形となった。 ちなみに、1989年のル・マン24時間レースへ投入されたエンジンは、上司の干渉によって林が考えていた内径×行程にできなかった。その後、VRH35Zになったときに、林が予定していた内径×行程となった。 最大の目標としていたル・マン24時間はWSPCに組み込まれていたこともあり、WSPCが全戦参戦を義務づけていたことから1989年、1990年の世界選手権シリーズにニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)チームが、R89CおよびR90CKにこのエンジンを搭載し全戦参戦することになった。 5,000km以上を走るル・マンも500-1,000kmの世界選手権シリーズのレースも、それぞれ専用にエンジンを作り分けることはせず、基本的に同一仕様のエンジンが使用されており、オーバーホールもル・マンを除き数レースに1回で済ませるなどエンジン本体の耐久性は極めて高く、他のメーカー系チームが専用の高出力エンジンを投入する短距離レースでも、互角以上の出力を発揮していた。日産チームを取材した外国記者は、レースごとに分解整備をせず、数レースにわたってマシンに搭載されたままでいつも薄く埃をかぶっているVRH35を「ミラクルエンジン」と評したという。
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