世界選手権挑戦者候補として(1993-96)
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「ガタ・カムスキー」の記事における「世界選手権挑戦者候補として(1993-96)」の解説
1993年には、ライバル機関であるFIDEとPCAがそれぞれインターゾーナルトーナメントを開催した。カムスキーはどちらでもプレーし、どちらでも挑戦者決定戦に参加する資格を得た。2つの挑戦者決定戦は、主にカムスキーとヴィスワナータン・アーナンドが好成績を収めた。 1994年から1995年にかけてのFIDE挑戦者決定戦の最初のラウンドで、カムスキーはパウル・ファン・デア・ステレンを破った(3勝3分1敗)。カムスキーの準々決勝、インドのサンギ・ナガルで開催されたアーナンドとのマッチはより劇的であった。最初の2ゲームのドローの後、アーナンドは次の2ゲームに勝ち、スコアを堂々たる3-1のリードとした。第5ゲームはドローになった。カムスキーは残りの3ゲームで、2.5-0.5の成績を収め、マッチをタイの4-4とした(2勝4分2敗)。そののち、プレーオフの2戦の快速チェスのゲームに勝ち、マッチに勝利した。サンギ・ナガルで1995年2月に行われた準決勝では、ヴァレリー・サロフに5.5-1.5の成績で勝った(4勝3分0敗)。 1994年から1995年にかけてのPCA挑戦者決定戦では、1994年6月にニューヨークで行われた準々決勝で、カムスキーはウラジーミル・クラムニクに勝った。1994年9月には、カムスキーはスペインのリナレスで行われた準決勝において、ナイジェル・ショートに勝った。1995年3月にラス・パルマスで行われたアーナンドとの決勝戦では、FIDEの結果とは逆に、カムスキーが負けた(1勝7分3敗)。 1994年9月のショートとのマッチでは、カムスキーの父親であるルスタム・カムスキーとショートの間の衝突が広く報道された。 1996年には、カルムイクのエリスタで行われたFIDE世界チェス選手権で、カムスキーはアナトリー・カルポフとの20戦のマッチを戦い、7.5-10.5の成績で敗れた(3勝9分6敗)。
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