世界選手権通算9回出場
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2006-2007シーズンは東京で開催される世界選手権を見据え、SPにボレロを使用。フリーは“一大プロジェクト”と銘うって、女性ヴォーカルを楽器の一つとして取り入れた曲を使用した。ジャッジがヴォーカルを歌詞と判断すれば規定により減点されるが、シーズンを通して減点されることはなかった。しかし全日本選手権では4位となり、世界選手権出場権を得られなかった。四大陸選手権ではSPのジャンプで転倒して臀部を強打し、首も鞭打ち状態となって棄権を余儀なくされた。 2007年7月に佐藤コーチの元を離れ、練習拠点をモスクワに移し、コーチをアレクサンドル・ズーリンに変更。イゴール・パシケビッチの指導の下、ジャンプのテクニックを変えて2007-2008シーズンに臨んだ。しかしGPシリーズでは表彰台に立てず、全日本選手権でも4位にとどまった。四大陸選手権でもジャンプミスが続いて10位となり、不振のままシーズンを終えた。 2008年7月にコーチをニコライ・モロゾフに変更し、練習拠点も強化拠点のあるアメリカのニュージャージー州に移した。GPシリーズで2戦続けて表彰台に上る復調を見せ、全日本選手権では、SPでは5位と出遅れるもフリーで首位に入り、3シーズン振りの表彰台となる総合2位となった。四大陸選手権ではシーズン最高得点をマークして6位に入賞した。3年振り通算9回目の出場となった世界選手権では練習中に負傷、痛み止めを飲んで出場し、総合8位に入った。
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