世界選手権・銀メダル獲得
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「小塚崇彦」の記事における「世界選手権・銀メダル獲得」の解説
2010-2011シーズン、GPシリーズは中国杯、エリック杯と連続優勝。ポイントランキング1位の成績で進出したGPファイナルでは総合3位となった。7度目の出場となった全日本選手権で初優勝。かつて全日本3連覇を果たした父に続き、男子では史上初の全日本親子制覇となった。東日本大震災の影響で1か月延期、日本・東京からロシア・モスクワに代替開催となった世界選手権では、予選をトップで通過。SPでは3回転アクセルの失敗で6位と出遅れたが、FSでは4回転トウループを国際試合で初めてクリーンに決めるなど、他ジャンプもミス無く完璧な演技を披露。全員のジャッジが全ての演技要素に、1点以上のGOE加点を付ける高得点でFS2位となり、総合2位に入り世界選手権で自身初の銀メダルを獲得し、日本男子選手としては史上4人目の同大会メダリストに輝いた。 2011-2012シーズン、GPシリーズはスケートアメリカで3位、NHK杯2位となるも、GPファイナル進出はならなかった。連覇のかかった全日本選手権では、SPで回避した4回転トウループをFSでクリーンに決めたが、後半の3回転アクセルの転倒がひびき、3.63点差で逆転優勝ならず2位に留まったが、5回目の世界選手権への出場を決めた。しかし期待された世界選手権ではSP・FS共に4回転トウループの着氷に失敗し、他のジャンプにもミスが目立ち総合11位に敗れ2大会連続のメダル獲得はならなかった。世界国別対抗戦も自身の成績は総合6位に留まったが、日本代表としては同大会初の総合優勝を果たしている。 2012-2013シーズン、GPシリーズは初戦のスケートアメリカで自己ベスト更新のSP2位から逆転優勝、2戦目のロステレコム杯で2位。通算3度目のGPファイナルの進出を決めたが、総合5位に留まった。全日本選手権では本番前に足の怪我を抱えながら強行出場するも、総合5位に終わり6年ぶりに表彰台を逃した。大会後の検査で、右足の腱鞘炎により全治1ヶ月と診断された。怪我の影響によりエントリーしていたチャレンジカップを欠場。ガルデナスプリング杯で大会復帰し優勝した。
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世界選手権銀メダル獲得
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「マット・リンドランド」の記事における「世界選手権銀メダル獲得」の解説
2001年11月、レスリング世界選手権に出場し、レスリンググレコローマン85kg級で銀メダルを獲得した。 2002年5月10日、UFC 37でムリーロ・ブスタマンチの持つ世界ミドル級王座に挑戦し、フロントチョークで一本負けを喫し王座獲得に失敗した。 2003年6月6日、UFC 43でファラニコ・ヴァイタレと対戦。投げを繰り出した際に自ら後頭部をマットに強打して失神し、TKO負けとなった。 2007年4月14日、ロシアで開催されたBodogFightでPRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。 2008年7月19日、Affliction旗揚げ戦Affliction: Bannedでファビオ・"ネガォン"・ナシメントと対戦し、3-0の判定勝ち。 2009年1月24日、Affliction: Day of Reckoningでビクトー・ベウフォートと対戦し、左ストレートでダウンしたところにパウンドを追撃され、失神KO負けを喫した。
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