世界救世(メシヤ)教創設〜晩年
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「岡田茂吉」の記事における「世界救世(メシヤ)教創設〜晩年」の解説
1950年(昭和25年)2月4日「日本観音教団」「日本五六七教」を解散し、宗教法人「世界救世(メシヤ)教」を発足。この頃から初期風俗画、肉筆浮世絵が収集の対象となる。浮世絵研究家近藤市太郎との出会いが、その後の肉筆浮世絵の研究、収集の契機となった。同年5月29日、熱海の世界救世教本部が脱税・贈賄などの容疑で捜索を受け、岡田も検挙されたが、後に「無罪」となる。。 1952年(昭和27年)、箱根美術館を開設。この頃、旧神田鐳蔵コレクションの存在を知り、さらに肉筆浮世絵の収集内容の充実が図られた。1953年(昭和28年)には『自然農法解説書』など著書を数点出版。尾形光琳の紅白梅図屏風を入手する。 1954年(昭和29年)、これまでのコレクションをもとに、日本橋三越において『肉筆浮世絵名品展』を開催、60余点の名品が公開された。4月19日、脳溢血の症状を起こして倒れる。6月5日、教会長をはじめ、主だった資格者を晩年の住まいとしていた熱海「碧雲荘」に招集し、『メシヤ降誕と言ってね、メシヤが生まれたわけです。言葉だけでなく事実がそうなんですよ。私も驚いたんです。生まれ変わるというんじゃないですね。新しく生まれるわけですね』と述べた。6月15日、「メシヤ降誕仮祝典」執行。 1955年(昭和30年)2月8日には野々村仁清の色絵藤花図茶壺を入手するも、同年2月10日に72歳で死去。1957年(昭和32年)、岡田の収集品をもとに、箱根美術館の姉妹館として熱海美術館が開設された(後に「救世熱海美術館」と改称、現在のMOA美術館)。 また世界救世教の分派東京黎明教会(旧・世界救世(メシヤ)教黎明教会東京支部)が、教会所在地である東京都中野区東中野に2005年(平成17年)2月、展示施設「TOREK Art Room」を設け、同教会の収集品とともに岡田本人の書や絵画などの作品の展示を開始した。2012年(平成24年)、これを美術館に改装することになり、2015年(平成27年)10月10日に東京黎明アートルームとして開館した。
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