世界と日本のフォーク年表
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「フォークソング」の記事における「世界と日本のフォーク年表」の解説
1960年代 ‐ ボブ・ディランの「風に吹かれて」がヒット。 1963年 ‐ ピート・シーガーが来日。 1964年 ‐ 「原宿フーテナニー」開催。/ 「銀座フーテナニー」開催。 1965年 ‐ 日劇フォークソングフェスティバル開催。 1966年 ‐ ビートルズが初来日。/ マイク眞木の「バラが咲いた」がヒット。/ 五つの赤い風船が活動開始。/ フジテレビ『フォークソング合戦』が放送開始。/ 日劇フォークソングフェスティバルにて高石友也がプロデビュー。 1967年 ‐ 高石友也が大阪で初リサイタル。東京日比谷野外音楽堂で、遠藤賢司・小室等・フォーク・クルセダーズその他により「ニューポート・フェスティバル・イン・ジャパン」開催。/ フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」がヒット。/ 森山良子が「この広い野原いっぱい」でデビュー。 1968年 ‐ フォーク・クルセダーズが「イムジン河」発売自粛。/ 岡林信康が「くそくらえ節」「がいこつの唄」で登場、「山谷ブルース」発売禁止。/ 高田渡が「自衛隊に入ろう」発表。/ フォーク・クルセダーズが解散。 1969年 ‐ はしだのりひことシューベルツの「風」、ビリーバンバンの「白いブランコ」がヒット。/ 東京新宿駅西口に現れたフォークゲリラに機動隊が動員され、ガス弾で弾圧される。/ アンドレ・カンドレ(井上陽水)がデビュー。/ 高石友也がさよならコンサート。 1970年 ‐ 「インターナショナルフォークコンサート」開催。前夜祭に遠藤賢司、あがた森魚その他出演。/ 吉田拓郎がデビュー。/ 第2回全日本フォークジャンボリー開催。 1971年 ‐ はしだのりひことクライマックスの「花嫁」がヒット。/ 第3回全日本フォークジャンボリー開催。/ 東京世界歌謡祭で上条恒彦が「出発の歌」グランプリ受賞。/ 北山修・加藤和彦による「あの素晴しい愛をもう一度」がヒット。/ 赤い鳥が「竹田の子守唄」「翼をください」を発表。「竹田の子守唄」は放送禁止歌」になった。 1972年 ‐ ニール・ヤングの「孤独の旅路」が大ヒット。 1972年 ‐ 吉田拓郎の「結婚しようよ」、8月、「旅の宿」がヒット。井上陽水の「傘がない」、古井戸の「さなえちゃん」、もとまろの「サルビアの花」、五輪真弓の「少女」、ウィッシュの「ご案内」、ピンクピクルスの「一人の道」、猫の「雪」「地下鉄に乗って」などが発表され話題になった。 1973年 ‐ ガロ(GARO)の「学生街の喫茶店」がヒット。/かぐや姫の「神田川」がヒット。/グレープがデビュー。/なぎらけんいち(後のなぎら健壱)の「悲惨な戦い」が自主規制。 1974年 ‐ 山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」がヒット。/ 吉田拓郎とかまやつひろしが連名で「シンシア」を発表。/ 1975年 ‐ マイ・ペースの東京がヒット。小室等・吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげる、フォーライフ・レコード設立。/ かぐや姫とよしだたくろうが中心となって「つま恋コンサート」開催。約5万人の観客を動員。/1973年12月に発売された井上陽水のアルバム『氷の世界』が8月に日本レコード史上初めてアルバム100万枚を売り上げる。/風 が「22才の別れ」でデビュー。バンバンの「『いちご白書』をもう一度」、シグナルの「20歳のめぐり逢い」がヒット。 1977年 ‐ 日暮しの「いにしえ」がヒットした。 1983年 ‐ 村下孝蔵の「初恋」がヒット。 1990年 ‐ たまの「さよなら人類」がヒットした。 2001年 ‐ 夏川りみが森山良子とBEGINによる「涙そうそう」をカバー。 2002年 ‐ 「涙そうそう」がヒットし、第44回日本レコード大賞では夏川りみが金賞、森山良子が作詞賞を受賞。 2007年 ‐ 日本の歌百選に「今日の日はさようなら」「翼をください」「涙そうそう」が選ばれる。
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