フォーライフ・レコード設立
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「吉田拓郎」の記事における「フォーライフ・レコード設立」の解説
1975年には、かまやつひろしに「我が良き友よ」を提供、この曲もヒットとなった。1975年5月に、高額納税者番付1974年度納税分で、歌手部門にフォークシンガーとして井上陽水とともに初のランク入りとなる(拓郎5位、陽水7位)。 6月1日にCBSソニーの拓郎が、ポリドールの井上陽水、エレックの泉谷しげる、ベルウッドの小室等と共に、アーティストの手になる初めてのレコード会社『フォーライフ・レコード』を発起した。これを機に「吉田拓郎」と改名する。12月に、オールナイトニッポン最終回で四角佳子との離婚を発表する。この年森山良子に提供した「歌ってよ夕陽の歌を」は森山の新境地を切り開き"フォークの女王"に戻らせる。 8月2日~3日、静岡県掛川市・つま恋で、野外オールナイトコンサート「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」開催。 1976年3月28日、TBS「サンデースペシャル」「セブンスター・ショー」のトリを務める(後述)。 4月にフォーライフ第1回新人オーディションでグランプリを獲得した川村ゆうこをプロデュースし、デビュー曲「風になりたい」を作詞作曲。本楽曲は拓郎自身「自分で作った曲で一番」と述べている。11月に、小室・拓郎・陽水・泉谷ら4人のスプリット・アルバム『クリスマス』を初回プレス30万枚で発売し、オリコンで1週のみ1位となったものの、累計が10万枚にも満たず、フォーライフの屋台骨を揺さぶることとなった。翌年、フォーライフは2年目の決算で8億円の赤字を出す。6月には、小室に代わり、フォーライフ2代目社長に就任する。7月に浅田美代子と2度目の結婚。9月10日に、井上陽水が大麻所持(大麻取締法違反容疑)で逮捕。社長として記者会見で平謝りし、嘆願書を集めて東京地検に日参するなど陽水の救済に尽力した。 70年代後半には、キャンディーズに「やさしい悪魔」、石野真子に「狼なんか怖くない」を提供。「やさしい悪魔」は、後年、町田ガールズ・クワイアがカバーした。1979年2月、『たくろうオン・ステージ第二集』(1972年12月発売)収録の「ポーの歌」が浜口庫之助の曲の盗作と報じられる。拓郎自身は初めからオリジナル曲とは言っていなかったが『たくろうオンステージ第二集』を無許可でリリースしたエレックが吉田拓郎作詞・作曲とクレジットしてしまったというのが真相である。 1979年『吉田拓郎 アイランド・コンサート in 篠島』が開催され、オールナイトで69曲、約8時間歌い、観客2万人動員した。また、特別出演としてデビュー直後の長渕剛がステージに登壇した。 『TOUR 1980』では過去の曲を一切やらず、全て新曲で通すなど、過去との決別を宣言し、初の海外録音作品『Shangri-La』を発表した。 1981年4月5日、資生堂81夏のコマーシャルソング「サマーピープル」リリース。
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