三河家住宅
名称: | 三河家住宅 |
ふりがな: | みかわけじゅうたく |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 2517 |
種別1: | 近代/住居 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 2007.12.04(平成19.12.04) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 徳島県 |
都道府県: | 徳島県徳島市富田浜4-7 |
所有者名: | |
指定基準: | (三)歴史的価値の高いもの |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 鉄筋コンクリート造、建築面積193.30平方メートル、三階、一部地下一階、瓦葺一部銅板葺 附・岩屋 1棟 鉄筋コンクリート造、建築面積31.69平方メートル ・外便所 1棟 鉄筋コンクリート造、建築面積2.69平方メートル ・門及び塀 2基 鉄筋コンクリート造及び石造、折曲り総延長44.7m 宅地 815.00平方メートル 7番の一部、8番の一部 右の地域内の庭門、裏庭門、石敷、像、浄化槽を含む |
時代区分: | 昭和 |
年代: | 昭和3頃(1928頃) |
解説文: | 三河家住宅は、産婦人科病院を開院していた医学博士三河義行が、昭和3年頃に建てた自邸で、徳島県立工業学校建築科出身の木内豊次郎が設計した。主屋は鉄筋コンクリート造3階建で、展望台としての塔屋を高く立ちあげ、2階には波形平面のテラスを設けるなど、曲面を多用した複雑で変化に富んだ輪郭を形造っている。また内部は、玄関風除室の黒白タイルの市松敷きや、曲面建具やステインドグラスなど、要所に見所をつくる。 三河家住宅は、鉄筋コンクリート構造を用い、独特の造形意匠でまとめあげた住宅建築である。地方における近代建築の展開を物語る指標的作品のひとつとして歴史的価値が高い。 |
近代(その他): | 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 舞鶴旧鎮守府倉庫施設 |
近代(住居): | 三河家住宅 上芳我家住宅 古谿荘 吉島家住宅 |
三河家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/08 05:43 UTC 版)
三河家住宅 | |
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全景 |
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所在地 | 徳島県徳島市富田浜4丁目7-2 |
位置 | 北緯34度03分59.2秒 東経134度33分22.3秒 / 北緯34.066444度 東経134.556194度座標: 北緯34度03分59.2秒 東経134度33分22.3秒 / 北緯34.066444度 東経134.556194度 |
類型 | 洋館 |
形式・構造 | 鉄筋コンクリート造 |
敷地面積 | 815m2 |
建築年 | 昭和4年(1929年) |
文化財 | 国の重要文化財 |
三河家住宅(みかわけじゅうたく)は、徳島県徳島市富田浜にある歴史的建造物。国の重要文化財に指定されている。とくしま市民遺産選定。
歴史
昭和4年(1929年)、産婦人科病院を開院していた医学博士である三河義行がドイツ留学中に徳島県立工業学校建築科(現徳島県立徳島工業高等学校)出身の建築家である木内豊次郎と出会い、同世代ということもあり意気投合、交流を深めた。帰国後、木内に「友情の証」として自邸を設計させて建てたのが、現在の三河家住宅である。
当時としては珍しいドイツ風の鉄筋コンクリート造3階建で、展望台として活用できる塔屋を高く立ち上げ、2階には波形平面のテラスを設けている。また関東大震災の被害を踏まえ、芸術性だけでなく耐震性も考慮されている。地方における近代建築の展開を物語っており、歴史的価値が高いことから1997年7月15日に登録有形文化財を経て、2007年12月4日に国の重要文化財に指定された[1]。
主屋のほか、岩屋(コンクリート製の倉庫、ヨーロッパのバロック庭園によく観られる)、外便所、門及び塀が重要文化財の附(つけたり)として指定され、宅地815m2(庭門、裏庭門、石敷、像、浄化槽を含む)も「建造物と一体をなして価値を形成しているもの」として重要文化財に指定されている。構造の強化だけでなく、装飾にいたってもコンクリートの特性を最大限に生かし、他に類を見ないユニークな建築物となった。
現在は徳島市の所有となっているが、公開はされておらず、市は活用方法を検討中である。
アクセス
内部は一般非公開となっているため、入館はできない。
- 徳島自動車道「徳島インターチェンジ」より国道11号・国道55号経由、かちどき橋を渡り右折すぐ。
関連項目
脚注
外部リンク
固有名詞の分類
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