吉島家住宅(岐阜県)
吉島家住宅(岐阜県高山市大新町)
名称: | 吉島家住宅(岐阜県高山市大新町) |
ふりがな: | よしじまけじゅうたく |
名称(棟): | 主屋 |
名称(ふりがな): | おもや |
番号: | 1648 |
種別1: | 近代/住居 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1966.12.05(昭和41.12.05) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 岐阜県 |
都道府県: | 岐阜県高山市大新町1-51 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行16.7m、梁間13.6m、北面突出部 桁行5.4m、梁間7.3m、一部二階、 切妻造段違、桟瓦葺、六畳、縁側及び便所附属 |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治40(1907) |
解説文: | 吉島家は江戸後期頃から生糸繭の売買などで栄えた。建物は明治40年に建てられ、全体に立ちが比較的低く細部の表現も穏やかであり、洗練された町家の手法をみせる。内部は主屋と突出部からなり、吹抜け部分に縦横に組まれた梁と小屋材は見応えがある。隣接する日下部家住宅(重文)とともに高山の町並景観を形成している。 |
吉島家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/16 15:35 UTC 版)
吉島家住宅 | |
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所在地 | 岐阜県高山市大新町1-51 |
位置 | 北緯36度8分47.9秒 東経137度15分30.5秒 / 北緯36.146639度 東経137.258472度座標: 北緯36度8分47.9秒 東経137度15分30.5秒 / 北緯36.146639度 東経137.258472度 |
類型 | 商家(酒造) |
形式・構造 | 木造、切妻造段違(主屋)、桟瓦葺 |
敷地面積 | 880 m2 |
延床面積 | 間口、奥行きともに約26m |
建築年 | 1907年(明治40年) |
文化財 | 国の重要文化財:1966年(昭和41年)12月5日指定 日本遺産「飛騨匠の技・こころ」:2016年(平成28年)4月25日認定 |
所在施設・区域 | 下二之町大新町伝統的建造物群保存地区 豊明台組保存区域 |
吉島家住宅(よしじまけじゅうたく)は、岐阜県高山市大新町にある古民家。国の重要文化財に指定されており[1]、文化庁認定の日本遺産「飛騨匠の技・こころ-木とともに、今に引き継ぐ1300年-」の構成文化財にも含まれている[2][3]。
概要
高山で酒造業などを営んでいた豪商・吉島家の住宅として1875年(明治8年)の大火の後に建築された。1905年(明治38年)に再び火災に見舞われたが、吉島家四代目の吉島休兵衛斐之が道に面した一部の焼け残りを生かして再建を行っている。1875年(明治8年)の建築、並びに1905年(明治38年)の再建はともに水間相模宗俊の流れを汲む、西田伊三郎が棟梁となって行われた。また、座敷は上宝村の内山新造が担当した。
建物は間口、奥行きともに約26メートルで、桁行16.7メートル、梁間13.6メートルの2階建て部分と、桁行5.4メートル、梁間7.6メートルの1階建て部分が組み合わされている[4]。ドジと呼ばれる土間とオエと呼ばれる台所部分は屋根まで横長の吹き抜けとなっており、梁と束が格子状に組み合わされている様子が意匠的に優れているとされる[5]。また、本座敷と仏間は書院造、茶室と雪隠は数寄屋造りとなっている。
2022年(令和4年)現在も吉島家によって所有され、一般に公開されている。
脚注
- ^ 文化庁. “吉島家住宅(岐阜県高山市大新町)主屋”. 文化遺産オンライン. 2022年8月17日閲覧。
- ^ 文化庁. “飛騨匠の技・こころ-木とともに、今に引き継ぐ1300年-”. 日本遺産ポータルサイト. 2022年8月17日閲覧。
- ^ 教育委員会事務局文化財課 (2022年3月22日). “飛騨匠の技・こころ-木とともに、今に引き継ぐ1300年-”. 岐阜県高山市. 2022年8月17日閲覧。
- ^ 高山市教育委員会 2014, p. 287.
- ^ 高山市教育委員会 2014, p. 302.
参考文献
- 高山市教育委員会 『高山市史-建造物編-』岐阜県高山市〈高山市史編纂資料第3号〉、2014年。 NCID BB1873448X。
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