三崎公園 (秋田県・山形県)
三崎峠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/09 15:14 UTC 版)
「三崎公園 (秋田県・山形県)」の記事における「三崎峠」の解説
この地は日本海沿いを進む羽州浜街道の古くからの難所の一つであり、手長足長という妖怪の伝説に準えた有耶無耶の関という関所が設けられていた。松尾芭蕉も象潟へ向かう道中に三崎峠を通り、「奥の細道」でその難渋ぶりを記している。河合曾良の随行記には、「是より先は馬も通れぬ難所」と記されている。現在も旧道は「三崎山旧街道」として保存整備されており、歴史の道としてハイキングコースとなっている。 明治時代になり、初代山形県令となった三島通庸は、萬世大路・関山峠・雄勝峠とともに山形県発展の礎とすべく、新道を内陸寄りに開削した。1877年(明治10年)に開通し、これによって秋田県と山形県の交通が活発となった。 現在の国道7号は1952年(昭和27年)に旧街道に近い経路で開通した。
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