海道口の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 03:02 UTC 版)
庄内軍三番大隊と四番大隊は、山道口とは別の海道口を進撃した。由利郡で秋田遊撃隊、有志の二隊、亀田藩、本荘藩、矢島藩に佐賀藩の砲撃隊が加わり、鳥海山中腹の三崎峠を踏破して、女鹿(山形県遊佐町)にあった庄内軍の陣地を急襲した。庄内軍のイギリス製のライフル銃200挺と弾薬、青銅製のカノン砲などを鹵獲して、村を焼き払った。しかし、吹浦から出陣した庄内軍三番大隊と四番大隊に包囲されて、塩越(にかほ市象潟地域)に退却した。 詳細は「三崎峠の戦い」を参照 庄内軍は本荘藩領・矢島藩領へ進軍し、7月28日に矢島、8月1日に塩越、8月2日に平沢を制圧した。 8月5日に上条(由利本荘市)で、弘前藩・本荘藩・亀田藩・福岡兵が庄内四番大隊と4時間に及ぶ銃撃戦を展開した。庄内軍の援軍により、新政府軍は退却した。そこへ、奥羽鎮撫総督府参謀の前山清一郎が久保田軍と福岡軍と共に援軍に来て、庄内軍を攻撃した。久保田軍は突撃刀槍隊で切り込みを敢行した。しかし、最終的には新政府軍が退却して、8月6日に本荘城が奪われた。また、以前から奥羽鎮撫隊監軍の山本登雲助に理不尽な采配を受けていた亀田藩は、山本が亀田藩兵を置き去りにして退却したため、庄内藩に降伏した。 8月13日から14日には庄内三番大隊・四番大隊が亀田城下に進駐し、8月17日に久保田藩は長浜(秋田市下浜長浜)付近まで追い込まれた。
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