奥羽鎮撫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 14:01 UTC 版)
慶応4年(1868年)4月、弘道は貢士(新政府が諸藩より差出させた代議員)に任ぜられ公議に加わるが3か月余りで辞し、岡山藩外交方に復帰、奥羽鎮撫の命を奉じ戊辰戦争の北征軍参謀として水戸、会津若松と転戦、一旦帰京後、恤兵使(じゅっぺいし)として箱館に遠征した。その間、外交方(のちに応接方)頭取に任命されている。明治3年(1870年)10月岡山藩大属、議院副議長となり藩政改革を推進する。
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