奥羽鎮撫隊の集結
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新政府から派遣された奥羽鎮撫総督府は庄内藩を討つため、副総督の澤為量および下参謀の大山綱良(薩摩藩)が率いる新政府軍を仙台から出陣させた。しかし、大富豪・本間家からの献金で洋化を進めていた庄内藩は、戦術指揮も優れていたため新政府軍を圧倒した。その後、列藩同盟の成立に際し、仙台に駐屯していた下参謀の世良修蔵(長州藩)が仙台藩によって殺害され、総督の九条道孝・参謀の醍醐忠敬は軟禁された。 新政府は九条総督救出のため、佐賀藩士・前山長定(前山清一郎)率いる佐賀藩兵および小倉藩兵を仙台藩に派遣した。閏4月29日、前山の新政府部隊が船で仙台に到着すると、この部隊は薩長両藩ではなかったため、仙台藩は軟禁していた総督府要人を前山の部隊に引き渡した。こうして仙台藩は、新政府に九条総督らを騙し取られてしまった。 6月18日、救出された総督府の一行は盛岡藩に到着した。藩主・南部利剛は1万両を献金したが、態度は曖昧なままだった。続いて7月1日、総督府一行は久保田藩に入った。久保田藩は国学者・平田篤胤の出身地という影響もあって、尊王派が勢力を保っていた。総督府一行は、庄内藩討伐のため仙台に居らず生存していた澤為量・大山綱良ら残存部隊と合流した。澤為量副総督は分隊を率い弘前藩説得のために弘前藩に入ろうとしたが、弘前藩の列藩同盟派によって矢立峠は封鎖されており、そのため澤の部隊は久保田藩に留まっていた。結果的に総督府一行は久保田藩で集結することになった。
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