奥羽鎮撫隊の集結とは? わかりやすく解説

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奥羽鎮撫隊の集結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:19 UTC 版)

戊辰戦争」の記事における「奥羽鎮撫隊の集結」の解説

新政府から派遣され奥羽鎮撫総督府庄内藩を討つため、副総督澤為量および下参謀大山綱良薩摩藩)が率い新政府軍仙台から出陣させた。しかし、大富豪本間家からの献金で洋化を進めていた庄内藩は、戦術指揮優れていたため新政府軍圧倒したその後列藩同盟成立際し仙台駐屯していた下参謀世良修蔵長州藩)が仙台藩によって殺害され総督九条道孝参謀醍醐忠敬軟禁された。 新政府九条総督救出のため、佐賀藩士・前山長定(前山清一郎率い佐賀藩兵および小倉藩兵を仙台藩派遣した。閏4月29日前山新政府部隊が船で仙台到着すると、この部隊薩長両藩ではなかったため、仙台藩軟禁していた総督府要人前山部隊引き渡した。こうして仙台藩は、新政府九条総督らを騙し取られてしまった。 6月18日救出され総督府一行盛岡藩到着した藩主南部利剛1万両を献金したが、態度曖昧なままだった。続いて7月1日総督府一行久保田藩入った久保田藩国学者平田篤胤出身地という影響もあって、尊王派勢力保っていた。総督府一行は、庄内藩討伐のため仙台に居らず生存していた澤為量大山綱良残存部隊と合流した澤為量副総督分隊率い弘前藩説得のために弘前藩入ろうとしたが、弘前藩列藩同盟派によって矢立峠封鎖されており、そのため澤の部隊久保田藩に留まっていた。結果的に総督府一行久保田藩集結することになった

※この「奥羽鎮撫隊の集結」の解説は、「戊辰戦争」の解説の一部です。
「奥羽鎮撫隊の集結」を含む「戊辰戦争」の記事については、「戊辰戦争」の概要を参照ください。

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